沖縄はエネルギーを充電するための「島宇宙」

ワダ:
今回のクエストカフェのインタビューは、一般財団法人ワンネスグループの創設者で、代表の矢澤祐史さんに登場いただきました。
ワンネスグループは、ギャンブル、アルコール、薬物などの依存症者の回復を支援する活動を行っており、組織には回復施設を始め、依存症カウンセラー養成や就労支援まで、幅広く活躍されていて、回復施設は、奈良、沖縄を中心に6拠点、フィリピンのセブ島にも回復施設があり、また、東京、名古屋、大阪にも活動拠点を持って、その他依存症回復に関わる、様々な活動を行っています。回復支援セミナーは北海道から沖縄まで、全国で行っているというかなり規模感のある組織です。
さて、今日は、沖縄県の南城市にあるワンネスグループのリトリート施設、ワンネスリトリートでお話を聞いています。
このエリアは沖縄の中でも、僕もとても好きな所なのですが、斎場御嶽(せーふぁうたき)がすぐ近くにあって、ここから久高島も見えるという非常にスピリチュアルなエネルギーに溢れる場所だと思うんですが、もともと沖縄出身ではない矢澤さんが、ここ沖縄に回復施設を創った経緯というのを聞かせてもらえますか?
矢澤:
はい。その引き寄せられるように、インスピレーションみたいなものだと思うんですけども。
沖縄は、以前住んでいたこともあるのですが、沖縄には自分の中にある音楽性とか、自分自身を感じる力みたいなエネルギーがみなぎってくる様なそういう大切な場所だったんですね。
以前、与那国島にダイビングに行ったんですけど、素晴らしい所で本当に何も無い。あるのは灯台と海と小さな町があるくらいで、そこにポツンと廃材とかで作ったような小さな手作りっぽいカフェがあって、そこのオーナーさんと仲良くなって話したりしてたんですが、沖縄がやっぱり肌に合ったというか・・・
ワダ:
なるほど。。。
矢澤:
僕は、若い頃、依存症で苦しんだ時期が合って、その助けを求めた先が沖縄のある回復施設だったんですね。それから15年ほど経って、もう一度、沖縄の地に帰ろうと思ったんです。
沖縄には、4年住んでいたんですが、当時は南城市をそもそも知らなかったんですが。。。笑
ネット検索で、いくつか物件があって、やっぱりこの静かな感じがよくて、何かスピリチュアルなエネルギーも感じたんですね。
このあたりを散歩してても、ご近所さんに会うくらいで、あとはクルマが通るぐらい。散歩しているだけで何か地球そのものというか、僕は「島宇宙」って呼んでるんですけど。何かこの島宇宙にいて、このエネルギーの中にいると航海から帰ってきたというか、自分自身に繋がっている感じがするんだと思います。
やっぱり自分の旅の中で、再び沖縄に戻って何か活動を拡げていく、そういう呼ばれ方をしている感じがしたんですね。
ワダ:
出身はどこでしたっけ?
矢澤:
東京です。
ワダ:
東京で生まれ育ったことや若くして依存症で苦しんだ経験が、何か沖縄は強烈な癒やしをもたらしているのかも知れないですね。
矢澤:
はい。僕は、感覚に従うことが自分の人生の中で大切だと感じていて、それが良いのかわからないですが、そうしてやっていると仲間が増え、組織が広がっていまのような組織になっていますが、それによって多くの方の支援ができているとすれば幸せです。
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自分に対する怒りが固定化されていった、
幼少期の体験

ワダ:
矢澤さんは、10代前半から依存症になって、アルコールから薬物までひと通りぜんぶ経験していますが、依存症になった経緯やどのように回復したのか、聞かせてもらえますか?
矢澤:
そうですね。僕は子供の頃から依存症回復に至るまで、自分には価値がない、存在してはいけないという気がしてたんですね。
そこにはいろんな諸事情があったと思うんですけども、うちは機能不全の家庭で、父がアルコール依存症だったということもあると思うんです。
矢澤家はどういう家だったかというと、自分自身の考えを持ってはならない。そういう暗黙の空気があったというか、考える前に、感情を爆発させる様な、そういう家だったんですね。
父親が感情を爆発させている姿を見て、今何が起こってるの?と混乱し、父親からひどい目に遭わないようにするにはどうしたらいいのか、どうすれば安全に生きられるのか、母がどうしたら殴られないですむのかと、いわゆる子供心に思っていました。
子供本来の自分のニーズ、好きとか嫌いとかこれが欲しいとか、そういう主体性が欠けていって、どうしたらこの状況の中を平和に過ごせるかという無意識的に、そういう方向へ向かうプロセスだったんですね。
ずっと自分には価値がない、意味が無いというような中でサバイバルしてきたんですよね。そこで自分がいかに安全に生きられるかっていうことが、僕がその頃ずっと目指していた、探していた世界だったんです。
その家に生まれて、そういう環境に育って、子供って言うのは他に選択肢を選べないので、そういう環境になんとか順応して生きていきますよね。
ワダ:
相当大変な環境でしたね。
矢澤:
当時は、よく分かってないんですが、それに馴染んでいこうとするプロセスがあって、そこでは、ありのままの自分をそこでは出してはいけないっていうのは、子どもにとっては非常に大変な状況じゃないですか。
例えば、母親は夜、外に遊びに行く人で、父親はそれが気に入らないわけですよ。それで父親は「お前は、子どもの飯を作らないで」と言って殴るんです。
僕は、そんな状況にさらされたくないし、見たくもないので、何をするかというと、ご飯を食べたふりをして、お皿を汚して台所に置いておくわけです。そして、その状況が回避できるんですね。それって非常にしんどくて、そんなことが日常ですから、とんでもないことになるわけですね。
まだ起きてもいないことに一生懸命、安全策を考える。そういう目に遭わないように自分を守ろうとするわけで、そうすると自ずとありのままの自分では、この状況では危険なんだとなっていくんですよね。そこで、これは後にわかったことなんですけども、そんな環境に育って、一番大変なものを受取っちゃったのは、自分に対する怒りでしたね。
どんだけ頑張っても、それは大人の事情だし、僕には何ともできなかったことですけど、当時何ともできない自分に対して、あるいは極度の不安感、恐怖感があるんですね。
そうした感情は大事な感情ではあるんですが、それが異常な状態でずっと表れていて、どこにいてもドキドキしてるし、イメージとしてアンカーされているので、次から次へとそのビジュアルが浮んできて、あるいは怒鳴り声が聞こえてきて、そして時には、実際の声で母親が僕の名前を呼んで「助けて」と言ったりして、二階から降りていくと血だらけで倒れていたりとかで、その状況を体験すればするほど、なんか無力感でいっぱいになっていたと思うんですね。
ワダ:
いまだから、こうやって分析できるけど、当時は何が起こっているかわかんなくて、葛藤だけがそこにあるみたいなね。
矢澤:
そうです。そういう意味でビリーフって、繰り返し行なわれていたことについて刷り込まれていくんですよね。
大きく感情が揺れ動いた時に、ビリーフってできると思うんですが、繰り返し繰り返し体験していくことでPTSDにもなるし、まぁそういった歴史があったんですね。
こんな家庭にいても、そこからしっかりと道をそれることなく自分の道、我が道を生きていく人も、この世の中にいっぱいいると思うんです。僕に起きたことは事実として悲しい出来事ではあったんですけども、今となっては、こうやって依存症業界で活動しているので、それも意味があったかなと。
その時は、心がすり切れて燃え尽きて、自分に対する怒りが固定化されていったというのが、頑張って頑張って、頑張ったけど、やっぱり駄目だったという。底に焦付いた鍋みたいに焼き付いちゃって。自分に対する怒りっていうのは、非常に厄介ですね。ずっとその感覚が胸の中にあって、大人でもその状況にさらされていたら辛いと思うんです。
ましてや子どもなので、言語化できないというのと、不思議なもので、その状況を話してしまうと父と母が傷つくみたいに感じて、自分では黙ってしまい、誰かにヘルプを出さなくなるんですよね。
ワダ:
なるほど。
矢澤:
学校に行っても何でもない顔をしてるんですけど、そういう風にしてどんどん自分と分離していく。罪悪感を増していくし、極度の恐怖感、そして異常な不安。もうあの家庭の状況にはいたくないという思いと、でも早く戻んないと、母を守んないと、そういうサイクルで学校に行っても、何にも面白くなかったですね。
逆になんだろう、人を見てても、サッカーやったり、野球やったり、ゲームやったりしても、僕にはその世界が違い過ぎた感じがして、ずっと違和感がありましたね。
ワダ:
一番ベースとなるところが安全な環境じゃないわけだからね。
矢澤:
そうですね、戻る所がないみたいな。
ワダ:
そうね、余力がないよね。そこに居るだけでも精一杯だから。
矢澤:
そうなんです。自分の存在が何なのか。自分の思いとか、音とか自分の声がない。小学校の頃は、学校に行くのはしかたないと思って行ってましたけど、人生で一番辛い時期でしたね。生きた心地がしないというか。
ワダ:
幼少期の頃は、理解する頭もないし、ただ混乱という乱気流の中にいて、暴れる飛行機のような自分をなんとか押さえてみたいな。なんとか、みんなと一緒に真っ直ぐ飛びたいという感じですね。
矢澤:
そうなんです。だから当時は、一日中力んでいるので、 非常に疲れやすかったと思いますね。
ワダ:
上手く飛べない、何で飛べないんだというその葛藤が、結果的にはそんな感情が結びついてくるだろうし、そこまでパワーがなかったら、うつ的になっていくかもしれない。
矢澤:
だから人は自分とは違うとか、想念とかは、その頃に生まれたと思うんですよね。
もともと誰しもみんな違うんですけど、そういう意味ではなく、劣っているとか、足りないとか、欠けているとか、そういう思いが湧いてくる、育ってくると思うんですよね。特に僕は、感受性が強かったんだと思います。
我慢強かったし、忍耐もあったと思うんです。それをやり遂げたんです。やれるところまで頑張り切った。「脳は不快を避けて、快を得る」ってよく言いますけど。あまりにも気分が悪いので、何か気分を変えようとしてたんですよね。
その時は、親の金を盗んで、周りでバスケットボールが流行ってたので、マイバスケットボールを持って、ジャッジャジャーン!みたいな感じで登場して、自己イメージのトランスフォーメーションをする。その場で自分がヒーローになった様な。
ワダ:
バスケットボールっていうのは学校で流行ってたの?
矢澤:
担任の先生がバスケの先生だったんですよね。
僕はバスケぜんぜん好きじゃなかったし、どっちかっていうと嫌いだった。何かその時の僕はバスケットボールを買って、みんながやっている所に行き「すげー」とか言われた時の自己受容感みたいな。
ワダ:
ヒーローになるという。
矢澤:
そうです。満たされたという感じ、依存症といえば、あれが最初のアディクションだったかもしれませんね。
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薬で一気に得られる自己肯定感と
薬をやめられない苦しみ

ワダ:
いわゆる依存物質としてのアルコールなどに手を出していったのは、どんな経緯だったんですか?
矢澤:
僕の人生の個人史としては、中学生の頃からどんどん上積みされていきました。いろんな意味での生きづらい分離感とか、自分が何か人と違うとか、劣っているとか、いろんな観念やマインドがどんどん乗かっていったんです。
なのでよく言うんですけど「アル中の人が、なぜアルコールを飲んでしまうのか」1回飲んでしまうともう止められなくなるのに、なんで最初の一杯に手をつけるのかというと、その恐怖観念に近い自分の中の葛藤が、最初の一杯、アルコールを飲んだ時のふっと楽になる感覚。ふっと解放された様な感覚、その“ふっ”となる感覚に取り付かれちゃってる人たちなんですよね。
僕もまさにアルコールを最初に飲んだ時にそういう感じで、飲んだ時に、自分自身が楽になった感じ、解放された様な気分になりました。
ただですね、僕は、父がアルコール依存症だったじゃないですか、アルコールを飲むっていうことに気持悪さがあったんですよ。だからアルコールよりもシンナーとか大麻とか覚醒剤とか、そっちに流れていきました。
ワダ:
その頃、周りには、シンナーとか周りでやってる仲間はいましたか?
矢澤:
気分が悪いので気分を変えたい。そうするとそういう方向へと、付き合う仲間たちがシフトしていって、だから人によっては引きこもって家から出なくなったり、自傷行為に走るとか、自殺する人もいるのかもしれないですけど、幸か不幸か、そのちょっと刺激的なエキセントリックな人たちの中に吸い込まれるように連んでいきました。
そこに行くとやっぱり大人の世界ですよね。中学生からしてみて、20代後半の人たちと遊んでたりすると世界がまるで違うじゃないですか。それでクルマで遊びに連れて行ってもらったり、その流れでシンナーを吸うようになって、生き甲斐を見つけた感じでした。
ワダ:
さらっと聞いてるけど、とっても危険な世界ですよね。悪い仲間というとあれだけど、そういう世界で事件が起こったりしてますから。でも、そこでは仲間として認めてくれるわけで、先輩が後輩を可愛がってくれるみたいな。お前もちょっとやれよみたいな。
矢澤:
ええ。そこに行くと人と違うという観念みたいなものがちょっと無くなったような感じがしますね。なんかこいつらは仲間だという感じ。
特にそのことについて会話をするわけでももないし、僕自身こういうことを実際に語るようになったのは、回復に繋がっていったからなんで、それまでは、なんか自分の人生の中の出来事としてはもちろん記憶保管してるけど、言語化する様なことではなかったですよね。
ワダ:
そんな中で、どんどんエスカレートしていったわけですね。
矢澤:
はい。
ワダ:
それは結局、何歳ぐらいまで続いたんですか?
矢澤:
24才です。
ワダ:
それまでの間に御用にはならなかった?
矢澤:
1回逮捕されました。刑務所には行ってないんですが。
執行猶予で出てきて、だから何っていうかな、留置所の中とか、拘置所の中にでは覚醒剤という物質が存在していないわけで、不思議なものでやりたいという気持が湧いてこないんですよね。この先の自分の人生について深く考察して、これからの自分の未来について一生懸命「お母さん」って、母に手紙書いたりして(笑) 嘘じゃないんですよ!
ワダ:
それは自発的に書くわけですか?
矢澤:
はい。本当にそう思っているから書くんですけど、これからこうやって生きていくとか、俺は本当に自分の今の気持でいて、これでよかったんじゃないかって一生懸命、本当にそういう気持で書いた手紙だったりしたんですけどね。でも脳は非常にパワーがあるので、拘置所から出たその日にフラッシュバックが起きました。
薬使ってないのに薬を使っている状態になるんです。手足が冷たくなって、末端が冷えて動悸がしてそうなっている感覚に、何か恥の感覚が湧いてきたり、みんなこの状態を見てどう思っているんだろうとかという気分になってきて、寝れなくなって、ちょっと頑張ったんですけど、やっぱりまた使っちゃいましたね。
ワダ:
スリップしちゃったと。。。強烈なんですね、やはり。
結局、自分の自己制御というか、そういものほとんど効かないんですね?
矢澤:
はい、強迫観念ですよね。自分の意志の力を優に越えていて、自分の意思では勝てないです。
ワダ:
多くの依存症者が同様に、状況やディテールは違うかもしれないけど、多くの場合、機能不全の家庭だったり、PTSD的な過酷な状況に追い込まれて、本来の自分というのを見失ってしまう。
その上に、本当の自分という理解や概念がないから、ただ乱気流の中をひたすら生き延びるために生きる。そこに依存物質というのがいろんな形で忍び寄るというか、目の前に現れる。それに手を出してしまうと、そこで安定性を求めるみたいなね。
矢澤:
そうです。依存症の状態をマイナス10、自己肯定感があって、気分がいい状態をプラス10としたら、薬によってマイナス10からプラス10にいっちゃうので、振り幅がとても大きい。それによって依存度が使う度に強化され、さらにその行動を繰り返すようになってくるんですね。
ワダ:
一般の人はたぶんプラス3から5くらいにいるのかなって思うんですね。
それで自己啓発とか行くと、7くらいまでアップしたり、でも日常に還るとまた元に戻る。あの感覚を取り戻したいから、またあそこに行く。そして仲間を募る。宗教も同じですね。そして、セミナーではプラス10になりたいでしょと欲求を喚起させる。
それを薬でマイナス10から一気にプラス10に行く。本当の安定度ではなくて、薬によって一時的にしかるべき状態になっていると。
矢澤:
そうですね、もう完全になった感じです。自分に対する自分の感情というのが、パーフェクトになるんです。
ワダ:
自己肯定感?
矢澤:
そうです、肯定感です。即効性がある劇的な薬物の薬理効果によってですけどね。(笑)
ワダ:
人によっては、得る体験は違うものですか?薬によって効果や影響は違うと思いますが。
矢澤:
例えば、薬物依存症のクライエントに「なぜあなたは、自分を傷つけ、あるいは家族をそこまで苦しめながら、強靭な意思力を持って、それをやり続けたんですか?」「薬を使うことで得たものは何ですか?」って聞くと、99%が安心感とか、リラックスとかホッとしたとか。ホッとしたとか、安心するとかは言ううちはいいんですが、だけど僕の場合は、マイナス10から一気にプラス10にいって、段々と耐性が上がってプラス10にいかなくなるので、使用量が増えてくるんです。でも帰る所は必ずマイナス10なんですよ。
ワダ:
耐性が上がってくるから量を多く使えばプラス10なんだけど、今までの量だとプラス3ぐらいまでしかいかないみたいな。
矢澤:
そうです。それがまた気分が悪いし、怖いんですよ。「これは止められないんじゃないかな」って。
それで、使ってもなんとかゼロレベルになっちゃって、薬使っても、普通の人と同じレベルくらいという自分にしかならなくて、すごく怖かったですよね。
なので、僕は24才の時に本当に追いつめられていて、自分は薬を使っても使わなくても生きていけないっていうところまで到達していたんです。
幼少期に一生懸命頑張ったように、そのパターンは今でも色濃く残っているんですけど、自分からなんか離れちゃって、自分の存在、自分のセンターと全く繋がれていない状態。いわゆるアディクションですよね。
それで、人は自動反応としてショックな出来事があったりすると自分の得意なパターンに返ってしまうんですが。そこに返っているなって気づけばいいんですけど、気づかないで、そこでもっと頑張んなきゃ、もっとこうすればと強化行動で何とかごまかそうとするんですよね。
ワダ:
うん。
矢澤:
でもそれに疲れてきちゃった時って、やっぱり丸裸になって、ヒリヒリした自分がポンと出てくるじゃないですか。
薬使って頑張って生き延びて、薬も止めるのに止めれない。薬使ってても生きていけない、依存症の人が自死を選ぶ時って、こういうことだと思うんですよ。
何のために生きているのか?生きている意味があるのか?死んだ方が楽だ、もう消えたいって、ずっとそんなサイクルの中にあって、必死に自分をなんとか奮い立たせて、子ども時代から母を守ろう、家の環境を何とかしよう、学校に行っても何とかやりきろう、外の世界を見いて、こういう世界もあるんだ、じゃぁその世界で、その人たちとシンナー吸って、覚醒剤やって、自分で自分のことは好きでいたい、だから使い続けたはずなのに、でも人はどんどん離れていって、後ろ指さされて「彼奴はおかしい、付合わない方がいい」それで、警察署の看板を見ると「1回やったら止められない」ってそんなこと言われなくてもわかってるよみたいな。
でも止められないってことがちょっとでも上がってくると怖いので、それを否定して、やっぱり何でもない様な顔をするっていうような、同じみのパターンにまた返るってことをずっと繰り返していって、24才の時は、もう万策尽きて、いよいよ崖っぷちだったんですよね。
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助けを求めることができた、母からの手紙

矢澤:
何か天命というか、それは母の1通の手紙を通してやってきたんですけね。
とてもいい手紙だったので、今でも残してるんですけど。

「祐史へ
あなたが持って行った財布は、お姉ちゃんが私の誕生日に買ってくれたものです。大切にしていて、出かける時にだけ持って行くのものです。
どこまで駄目な人になるつもりですか。私の悲しみがどれほどのものなのか、あなたはわからないでしょうね。どんなにお金を盗られても、人様のものに手をつけるよりはとあきらめていました。お金で済むことならと、サラ金もカードのお金も、その人へのお詫びのお金も、今まで500万円ぐらいは使いました。私もつくづく馬鹿だったと思います。
このままの暮らしで、あなたはずっと生きて行くのでしょうか、このようなあなたにしてしまったのは、私が悪かったのだとつくづく思っています。反省もしているし、悔やんでもいます。でもね、どんな親でも、親がいなくても立派に生きている人がたくさんいますよ。何より私は、あなたが誕生して、喜び、愛して、幸せをいっぱいもらいました。私にとっては宝なのです。いつまでも今のままではないだろう。今に見てて、40才になった時の祐史を見てよと、心の中でよく言っていました。
でも私にはもうわからなくなりました。あまりにも悲しくて、酷いことをされたと思っています。
お父さんが入院したとき、男の子というものは本当に頼りになるものだとありがたかったです。私の心はとっても明るくなりました。今は真っ暗です。今日は最悪の誕生日です。 財布の箱も持って行ったのでしょうか、何回も使っているので高くは売れないでしょう、返してください。大切なのにもったいないです。
自分が蒔いた種は、必ず自分で刈り取るようになるんですね。私たちが死んでしまった後のことを考えてごらんなさい。嫌でもひとりで、自分で生きていかなければならないのですよ。前にも言ったけど健康な身体さえあれば、どんな風にでも自分の力で切り開いていかれるでしょう。自分の身体を大切にしてください。真面目にコツコツと生きてください。誰のためでもない、自分のためなのだと、幸せになるように一歩を踏み出してごらんなさい。何かを始めないと善悪がわかるようにならないでしょう。まだまだ間に合う、私にそう思わしてください。
たくさんの人から、たくさんの愛をもらて育ったあなた、根っからの悪人にはなれるはずがないと思っています。その都度反省もしているのでしょう。でも心が弱いから、またずるずると同じことを繰り返してしまっているのでしょう。でもどこかで踏ん張らないとね。どんな親でも、どんな子でも、どこまでもいつまでも親子は親子、私たちはずっとあなたの親。あなたはずっと私の子。だからどんなに腹が立っても、帰ってこないと心配します。パトカーの音を聞けばもしやと思います。いろいろ考えると眠れない夜も度々有ります。あなたの悲しい姿は二度と見たくは有りません。
本当に困ったとき、あなたの後ろに私がいることを忘れないで、ガラスの破片の飛び散ったあなたの部屋を片付けていて寂しかったです。一人の力でどうしても駄目ならどこかに相談してみようか、どこかへ行ってみようと考えても、私にはどうしたらいいかわかりません。どんなことでも考えたことがあったら協力します、言ってください。太陽の下で明るく元気に生きてください。私のただ一つの望みです。
この子の命は、私の命に変えてでも助けてやってくださいと神や仏に祈っていました。病気をしたとき、夜も寝ないで看病するのですよ。今だって同じ気持です。一つしかない体、大事にしてください。一つのことを成し遂げるのは、一歩ずつしか進めません。なのでまず一歩、あなたには心から心配してくれる親と姉がいることを覚えておいて。本当です。いくら言ってもあなたに私の心は言い尽くせません。でも心から愛しています。そして心配しています。温かいご飯、みんなと笑いながら一緒に食べましょう、一日も早く。
帰ってこないと警察に電話してみようかとドキドキしたりしました。私の部屋のカギを閉めなくてもよい生活をさせてください。優しくて、まだいろいろなことがよくわかっていない小さいあなたに、私たち夫婦の仲が悪く、度々喧嘩をし、バタバタとし、小さい心をさぞかし痛めて成長していったのでしょう。親といっても失敗だらけ、反省だらけ。蒔いた種を自分で刈り取らなければならないとは、まさに私が言うことです。ごめんなさいね。でも何とかしたい一生懸命です。」

という手紙をくれたんですよ。
それまでは、馬鹿だのいい加減にしろだの、まぁよくある親子の会話だったんですけど、この手紙に限っては心配している、愛してる、助けたいと思ってる。「どこにいったらいいのか私にもわからない」「どうしてほしいのか、教えてほしい」と書いてあって、質問で終ってたので「どうして欲しいんだろう?」と考えた時に「はぁー」と思ったんですよ。
「助けてもらいたい」と、これは一人の力じゃ無理なんだと、あれが僕の境界線だった様な気がしますね。
それで、これを読み終わって、いろんな意味の涙が出て、体からふ〜っと力が抜けて、そのまま立ち上がって、母のところに行って「助けがいる」ってことを伝えたんですね。
そのまま父親と、父親が昔入院してた精神病院があるので、そこに行けば何とかなると思ってそこに行って「あなたは、依存症です」と言われて「ここじゃ治んないから施設に行きなさい」と言われて、それで沖縄への旅が始まったんですね。
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10ヶ月間クライエントゼロでもやり続けた、
回復施設のスタート

ワダ:
お母さんの言葉、響きましたね。僕も、幼少期は、父親がお袋をよく殴ってたし、僕自身も殴られてたので、よく分かります。
それで、沖縄にあった依存症の回復施設へ行ったわけですね。
矢澤:
はい。
ワダ:
そこからは、問題なく回復して行きましたか?
矢澤:
はい、僕はそこから1回も使わずに15年生きてるんですよね。
ワダ:
母さんの手紙っていうのは、それくらい大きな影響がありましたか?
矢澤:
それもりましたが、病院に行ったとき、地元に帰ってやるのか、施設に行くのかという選択肢もあったんですけど、何か境界線を越えてたので、そこは静けさがあって、止めたくても止められないという依存症の問題がわかっていたので、地元に帰っても無理だと思って、思い切って環境を変えようと。
ワダ:
それで、東京から沖縄へという。
矢澤:
ええ。
ワダ:
どれくらいで回復したんですか?
矢澤:
1年くらいです。
ワダ:
そこから、同じように苦しんでいる人たちをサポートしたいという思いになっていったんですか?
矢澤:
いや、まったくそういうつもりはなくてですね。(笑)
薬は止まったんですけど辛かったんですよ。マイナス10までの深堀し続けて、焼きこげたフライパンの底みたいなものを整理したりはしたんですが、肝心なところを取り組むプログラムがなかったんです。
ワダ:
要するに薬を止められるプログラムというよりも、自助組織というか、自分の体験をそこで吐露することで、抑制効果があるというような。
矢澤:
そうですね。だからすごく懐かしい、この感覚って何なんだろうと、3ヶ月過ぎたあたりから人といれなくなって、何か息してるだけで精一杯みたいな、そういう感じになっていって「あっ、これは小学校の時と一緒だ」と思って、薬を使っている間はずっとこの自分と出会わなくてすんだんだと思って、だからまたずっとあの頃の自分と付合っていくのかと思ったらうんざりもしたんですけど。
ワダ:
薬なりアルコールなり、それは止まってるけど、結局、本質的に普通の人のようには戻っていない。ただ止まってはいるけど、苦しみは続くと。
矢澤:
はい。なんとか施設を出て独り立ちするまでになって、最初コンビニエンスストアで働いたんですよね。僕はそういうことをしたことがなかったので、そういうことは、ひとつひとつ嬉しかったんですよ。何かちょっと誇らしくなるぐらい、ピュアだったんですよね。(笑)
ワダ:
普通の人に戻れたみたいな(笑)
矢澤:
何か本当は、自分もこういうことをしたかったんだなぁと新鮮に感じつつ、でも、店長と目が合っただけで、何て言うかな。そのマイナス10がうずくわけですよ。それで見張られている様な気分になり、自分は欠けているからここにいちゃいけない存在の様な感じになって。だから冷蔵ケースで、後ろからジュースを補充している時がすごく好きだったんです。誰からの目にも入らないので、あとトイレ掃除と。(笑)
それ以外は辛かったですね。そんな感じだったので、結局クビになったんです。
ワダ:
なるほど。
矢澤:
次に、豚カツ屋さんで働いたんですが、そこも辛かったんですよね。
何か嫌なことがあると、人を変えようとか、状況を変えようとか、あるいはそれでも駄目だったら薬を使って自分を変えよう、自分が変わろう。そういうパターン化されたプロセスには戻らないように、今日1日、今日1日だけがんばろうって、2年弱行ったんですよね。
そのうち、そこがすごく好きになって、それで社員になって、店長になってということになることができました。その後、そこを辞めて、自分と同じ様に苦しむ人たちの手助けをしたいということで、もう一回沖縄の以前お世話になった施設に戻ってサポートをするようになったんですね。そこで1年半ぐらいやってました。その後は、三重の施設でサポートして、その後、自分でも回復施設をやってみたいなと思い始め、奈良でスタートしました。
ワダ:
奈良とは何かご縁があったんですか?
矢澤:
当時、奈良県には依存症の回復施設がなかったんです。
ワダ:
だから奈良でやろうと。
矢澤:
はい。そこが原点になって、ワンネスグループへと成長して行きました。
ワダ:
現在、ワンネスグループは、どのような組織になっていますか?
矢澤:
ギャンブルやアルコール依存症の回復施設、一般社団法人セレニティーパークジャパン(SPJ)が奈良と沖縄にあります。薬物依存症の回復施設、一般社団法ガーデンも奈良と沖縄にありますね。また、女性専用の依存症回復施設、フラワーガーデンやフィリピンのセブ島にも回復施設ガーデンセブ・マクタンアイランドがあって、他にも、依存症者に介入して依存状態からの回復を積極的にアプローチするインタベンション(介入)を行う、日本ファミリーインタベンションセンターや薬物依存やギャンブルのための窃盗や横領、アルコール関係での暴力などの事件などで刑事処分を受けた後の再犯防止のために、回復施設での治療提案を含めた、効果的な弁護活動を行う、ワンネスダイバージョンセンターも有しています。ここでは菅原直美弁護士がセンター長を努めています。
他にも、沖縄・南城市には、ワンネスリトリートという、リトリート施設も運営しています。その他、就労支援として、名古屋のラーメン店「拳玉」こちらは、名古屋でとても人気のラーメン店のひとつとして有名になっていますし、また、三重では農業法人を経営しています。さらに全国各地で毎月、依存症回復に関するセミナーや各地行政組織と一緒に依存症問題のシンポジウムやフォーラムなども行っています。
昨年より、海外からの招聘も多く、様々な国際会議で日本の依存症回復の実績や実例などを報告しています。
スリランカ、コロンボに本部を置く、依存症カウンセラーの国際的な養成組織、ICCE(国際アディクション専門職認定教育センター)やアメリカに本部を置く、IGCCB(国際問題ギャンブルカウンセラー組織)などとの提携し、カウンセラーの養成やトレーニングなど活動を強めています。
ワダ:
カウンセラーやセラピストを中心として、セミナーやワークショップも行っていますね。
矢澤:
はい。日本アディクション・インタベンショニスト協会ですね。
基本的にはインタベンショニストという日本にはまだ知名度のほとんどない依存症介入のスペシャリストなんですが、アメリカでは、インタベンショニストの活躍が、週イチのテレビ番組になるくらい知られていますが、依存症介入のプロフェッショナルを要請する目的で設立しました。現在、そこに限らず、幅広く、カウンセラー、セラピスト、また、セルフマネジメントやリーダーシップなどを含めて、ホリスティックに、特に海外のその世界で著名な様々なエキスパートをお招きして、セミナーやワークショップを行っています。
ワダ:
本当に幅広い活動になっていますね。
矢澤:
はい、おかげさまで、ありがたく、皆さんに活動をご理解いただき、ご支援をいただいてます。
奈良で始めた最初の10ヶ月間クライエントゼロで家賃払って、ひたすら支援者を募ってずっと守り続けてきたんですね。
ワダ:
クライエントゼロだから、家賃とか別に働いて支払いに充ててたわけですよね。
矢澤:
そうです。アルバイトを3つ掛け持ちして、靴に穴が空きながら、それでも自分がしたいことだったので。散髪なんか半年ぐらい行ってなっかったですもんね。
1,500円あったら支援のために何ができるのかって、そういう考え方だったので、まぁストイックと言えばストイックですけど、でもあれがなかったら、絶対今はないんですよね。
ワダ:
そうですね。
矢澤:
何かずっと道に迷っているというか、人間って相反するものがあって。陰と陽というか両方あって自分じゃないですか。でも、そのどっちかだけしか存在してはいけない様なそういう思いを持っているアディクト(依存症者)って多いと思うんですよね。
だから、それを良いと思うんですよね。自分の中で体験しながら、光も影も両方体験して、それでも自分のやりたいことをやり続けられるぐらいのモチベーションが湧く、目的みたいなものを自分の中で発掘して、アディクトを助けるために、自分もそれをやりたいって言っている人、そういう人たちが増えていくと良いなと思いますね。
ワダ:
志が高いですね。
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希望のない中で、
可能性に出会うことはとても価値がある

ワダ:
例えば、沖縄とかセブ島の施設でダイビングやったり、みんな楽しそうですよね。
日本では依存症に関して少しネガティブな見方というか、理解が薄くて、依存症になったのは自業自得だとか、自己責任だとか、人に迷惑かけておいて、もしくは、薬物やって犯罪者じゃないかとか、そういう意味で、施設で楽しく遊んでるように見えると、ちゃんと更生してるのか?みたいにうがった見方をする人もいるようですが・・・
矢澤:
自分と出会える、その人自身が自分自身を感じたりとか、セブに行くとダイビングして午前と午後にグループワークやって、みんな真っ黒こげになってて、誰が見ても楽しそうに見えるんですよね。
何か彼らのスピリットが、そこにあるっていうことを、彼ら自身が気づけるのって、すごくかけがえのないことで、そう簡単に起きないじゃないですか。
施設によっては窓もなく、地下室のようなところで同じグループワークをしている施設もあるわけですよ。その環境レベルだと大いなる力というか、偉大な精神というか大自然ですよね。海にプカプカ浮いたり、腰まで水に浸かりながら、そこで話を聞かないで、傍からは、ビーチでエンジョイしている若者のように見えるんですけど、そんな中にポンと座ると子供の頃のトラウマの話をしてるわけですよ。癒しの効果はとても大きいと思いますね。
ワダ:
もう一回、本当の自分と出会うみたいなね。
矢澤:
ええ。
ワダ:
自分はここでは許されるというか、はしゃいでいいんだとかね。機能不全な家庭で、子供の頃に、そんな自由な体験したことがないんだもんね。
矢澤:
そうですね。ギャンブル依存症の人たちって自分で考えたりとか、自分が楽しんだりとかに、すごく制限がかかっている様な気がしますね。
だから「楽しむ」っていうことは、彼らにとってNGなことなんですよね。その多くはアディクトという自分の人生の中で、自分の生きたいように生きたら良いじゃないって、それ言うのは簡単なんですけど、彼らの中ではあってはならないことなんですね。
それで、自分自身を語って、そのマイナス10のところまで掘り当てていくプロセスは、僕は奈良よりは沖縄。沖縄よりセブが良いと思うんですよ。
同じプログラムやっても、同じ人で同じことをやっても、僕は沖縄とかセブの方が効果は高くなると思います。
ワダ:
なるほど。。。
矢澤:
それぐらいその力をもらえるエネルギーとか、あとは海の力、太陽、地球レベルの癒し効果みたいなものが絶対あると思うんですよね。
だから僕は、沖縄に来て、当時自分は真っ白ですよ、精神病院にいたので。
沖縄に来て、迎に来てくれてみんなが握手してハグしてくれる仲間たちが真っ黒で、汗まみれで、同じアディクととは思えない様な人たちなわけじゃないですか、だから当時、彼らと出会った時に、表層意識より魂の深いところで喜びを感じている自分がいましたね。
「こうなれる」「自分にもその可能性があるんだ」っていうのを、目で見て感じられたっていうのは、大きかったと思います。
ワダ:
施設に入るには費用もかかるし、そんなとこに行かなくてもなんとか治せると思っている本人や家族は多いでしょう?
矢澤:
なんか沖縄に来ると「依存症やめたらいいさ〜」って感じで、何か関東の方に行くと、ちょっと怖いからあんまり近寄らないでというような、そんな地域性もあると思うんですよね。
僕は、父親がアル中で、依存症が身近にあったので、まだハードルは低い方だと思うんですよ。
そういう体験が身近にない家庭や完璧主義的な家族、ありのままの自分を押さえて、対面的に取り繕っている様なところのコミュニティだと、どうしてもそれを隠そうとするじゃないですか。そうなってくると自分が分離していくわけですよね。
これはなしと思えば思うほど、そういう抑圧は膨れ上がってくるわけですよ。
それがいずれ崩壊しかけた時に、強迫観念に生きるか死ぬか瀬戸際で、もう自分の力ではどうにもならないと窮地に立つことができるのか、それとも、そういうエゴの声の犠牲になって死んでいくのか、あるいは、生涯刑務所の中で、それが自分だって開き直って生きていく人も、世の中にいるのかもしれない。
依存症という希望のない中で、可能性に出会うこと、何かに出会える時っていうのは、もう駄目だと思って死ぬのと、もう駄目だと思って可能性に倒れるのとでは、全然違いますよね。
ワダ:
そうですね。
矢澤:
そういう意味では、回復っていうこともあり得るんですよという情報を提供することが大切でなんです。
回復の世界は体験したことがない。「そんな集団生活なんて嫌だし、自分の話をするのも苦手だし」「家族もいるし、仕事で忙しいから、そんなところへ行けない」っていう風に、やっぱりエゴの声に依存して、そっち側の方向に行かないように、行こうとするところを、我々チームがサポートして、決断するって、すごく大事だと思うんです。
その問題の中で生きるのか、解決策の中で生きるのかっていうのは、その分岐点だと思うんです。
問題の中でどっぷり生きてきたので、そこに慣れ親しんでいる。解決策に関しては、まだ体験したことがないので、半信半疑。それでも信じて、そっちに行けば何とかなるって思えるのは、全然違います。
家族が、依存症者に我々のインタベンション(介入)の要請を決断をする時って、すごいタイミングが来た時で、それは、何かとても神聖なものとして捉えてるんですよね。
ワダ:
とても大きな決断かもしれませんね。
矢澤:
その決断の力がその先のステップへと進めていって、それまで自分が体験したことがない世界に行くので、人間関係も全部変わるし、生活環境も変わる。人は自分を表現するのに「誰々さん家の息子です」とか「○○の会社に勤めています」と言うと思うんですけど、まったく新しい環境にいった時に「自分は10年間、薬を使ってきました」しかないんですよね。そっから新しいものを得ないわけがないので、さらに、自分に正直になるというのは、横で正直になってくれる人がいないと、自分からはどうやったらいいのかわからないわけです。
ワダ:
回復施設に入ることは、依存症者でなくとも、誰でも新しいコミュニティに入っていくのは不安があると思います。
でも依存症で、本当にどうしようもない状態ならば、その人たちが実際に体験してみて、ここでなら自分が何か変われるかもしれないという場所をみつけて、そこで一緒にプログラムを体験していくというのはすごく大事なことだなと思います。そこには同じように苦しんできた人たちがいて、多くの人たちが回復の道に向かっている。
お医者さんを頼りにしていく人が多いわけですが、もちろん、そこで治る人もいるし、治ってくれれば一番いいわけなんだけど。
自死とかも結構頻繁に起こっていることだし、そういった中では施設に入るというよりも、自分の居場所のコミュニティがそこにあるんだと、まずそこに来て癒すところから始めて欲しいというか、そのままの自分で良かったんだということを思い出してもらうところから、学び直す。そういう意味では回復施設いうのは、すごく重要な役割を持っていると思います。
矢澤:
本人が回復への気持ちになったらと思うんですけど、本人からその気になることはまずないんです。
家族が依存症について学び、どうやって関わったら本人が回復に繋がってくれるのか、まずは家族の人にも、情報を伝えていくっていう、そういうことには価値があると思いますね。
ワダ:
矢澤さんの、今後のビジョンについて教えてください。
矢澤:
2015年9月で、ワンネスグループの活動が始まってから10年周年を迎えました。
この10年動いてみて、できることできないこと、そして、まだまだやり続けたいこと。
回復支援をベースにある種の可能性も知ったし、限界も知りました。
アメリカには、僕は足を運んで勉強してたんですけど、最近は、アジア各国と連携が深まっていて、彼らは、経済的な基盤は、アメリカより日本に近いんですね。
その中で、彼らは母国語の他に英語圏なので、やっぱりそのままアメリカで学びに行って、そのままインストールできるということもあって、日本よりも、実は全然進んでいるんですね。
ワダ:
ちょっと日本は、いろんな分野で、どんどんガラパゴス化してきてますからね。
矢澤:
ただ、日本なりの仏教の世界とか、マインドフルネスの禅的なものとか、アジアとか、アメリカとか、こっちに来たいって言ってくれるような、そういうコミュニティを創っていきたいというのはありますね。
ワダ:
僕も、矢澤さんとか、ワンネスグループに関わらせてもらっていて、コミュニティの再生という部分には、本当に日本が忘れかけてることがあると思います。
本来の自分じゃない生き方、偽物のアイデンティティをかぶって生きなきゃいけない世界に我々は生きてるから、どこかで本来の自分に戻らなければいけない時がが来る。
そこに行く過程に、依存症になってしまうのか、もっと危険な犯罪行為にいくのか、いろんな道があるけど、最終的には自分の中にある仏陀という黄金(本当の純粋な自分)を見つけなきゃいけない、出会わないといけない時が来るから、そこまで行く前に、ぜひ気づいてもらって、本来の自分を歩んでもらえる様な、そういったサポートをしていきたいですね。
矢澤:
いいですね。
ワダ:
これからも応援していますので、ぜひ活動を拡げて行ってください。
矢澤:
よろしくお願いします。
ワダ:
今日は、長時間ありがとうございました。
矢澤:
ありがとうございました。
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【取材後記】

人生を思うように生きてきた人、成功してお金持ちになった人、苦労の幸せを掴んだ人・・・これまで多くのそんな人たちに会ってきた。この矢澤氏も、何も知らない人が彼を見るとそんなひとりに思えるかもしれない。

だけど、彼はちょっと違う。。。

彼のような、ある種大変な境遇で、子供時代から大人への階段を昇ってきた人には会ったことが無かった。もちろん、世の中には、悲惨で過酷な人生を生きてきた人は無数にいるだろう。でも、僕の人生では、そうそう会う機会が無かった人物だ。

紹介されて初めて会うことになったとき、僕は、正直、少し緊張した。なぜなら、薬物依存症で苦しんだ過去を持つ、つまり、覚醒剤やヘロインを使ってた人なわけだ。社会的に見れば過去に犯罪に手を染めたとも言える。でも、会ってみたら、そんな気持ちはすぐにどこかへ行ってしまった。それは矢澤氏の人物としての真っ直ぐさ、優しさ、愛の深さを感じることができたからだ。

人をレッテルではみれない。そして、彼は薬物から離れて、すでに15年も経つのだ。それだけじゃない、同じような依存症で苦しむ人々を数多く救ってきたし、いまも、もっと多くの人を救おうと活躍している。

彼らの苦しみは、同じ苦しみを体験したことがない人には、なかなかわかることは難しいかもしれない。いや、わかることはできないだろう。

そして、依存症の問題を深く見つめてみる時、それは幼少期の親子関係や家族の関係、家族の持つ文化、地域社会や生きている環境、それに場合によっては、体質的なDNAの問題も関わってきたりする。

そんな中で、やはり、親子関係はもっとも影響力の大きな問題だ。

アダルトチルドレンと言う言葉は、もともと親がアルコール依存症で、家庭が機能不全な中で育った子供のことを言い、そしてまた、その子供が成長して、アルコール依存症になっていくケースが非常に多いのだ。この負の連鎖は、あらゆる依存症にも言えることだし、また、依存症という病気として問題行動に発展しなくても、生きづらさや問題を抱え、感じている人は多いだろう。それらは少なからず、親子関係に起因する何かがあるかも知れない。

そのように考えたら、依存という問題を抱えていない人の方が圧倒的に少ないし、そうした問題を抱えながら社会を生きて、また社会は成り立っているのだろう。

要するに、根本的に、依存を生まずには成り立たない社会が現代の社会なのかもしれない。依存症の問題は古くからあるけれど、近年になって、依存症問題はにわかにクローズアップされてきている。依存症が企業の経営リスクのひとつにもなって来ているのだ。

依存症は、誰にでもなりうる心の病気だ。ぜひ、あなた自身も依存物質や行為への依存傾向を持っていないか。今一度、チェックしてみてはいかがだろうか。

矢澤 祐史 プロフィール

一般財団法人ワンネスグループ代表

刑務所内での覚せい剤離脱教育講師/内閣府におけるプレゼンテーションも実施。薬物・ギャンブル・アルコール依存症治療施設、「社)GARDEN(奈良)」、「社)セレニティパークジャパン(奈良)」、「社)セレニティパークジャパン沖縄」代表理事、「リカバリークラブ沖縄」、「GARDENセブマクタンアイランド」代表。家族支援・治療介入相談センター「ファミリーインタベンションセンター」創設者。介入(インタベンション)の手法で、病気を否認する依存症本人を治療に繋げる活動を行う。

アルコール依存症の父親のもとで育ち、自らも10代で、薬物依存症、ギャンブル依存症になる。20代で回復に目覚め、依存症施設職員を務める一方で、最新の治療プログラムを求め渡米。その中で培った経験から、「一人ひとりのクライアントにあわせた個別治療プログラム」をモットーに、治療への介入(インタベンション)から解毒、そして社会復帰に至るまでの包括的な依存症解決プランを、クライアントに提示する支援に取り組んでいる。

現在、国内はもとより、フィリピンセブ島でも治療施設を運営する。さらに、依存症者の家族や子どもに対するカウンセリング、セミナー、執筆活動、小学校から大学まで幅広く講演活動などを行い、内閣府において依存症関連のプレゼンテーションも行う。

依存症の解決を図るカウンセラー育成も手掛けており、また、回復者の雇用創出部門、高齢者福祉事業も立ち上げ、それら事業体を総称する「ONENESS GROUP」代表。

  • ICCE(国際依存症カウンセラー専門職認定協会 本部スリランカ)国際理事
  • IGCCB(国際ギャンブル依存症カウンセラー認定委員会 本部米国)日本認定教育機関 代表
  • NADAI(国際アルコール・ドラッグインタベンショニスト協会 本部米国)日本支部代表
  • IC&RC 日本支部 科学諮問委員&執行役員
  • 認定全米薬物&アルコールインタベンショニストIVマスターレベル
  • 全米上級マスターインストラクターII
  • 上級マスターアディクションカウンセラーII
  • 上級精神保健カウンセラー
  • 上級アディクションセラピスト
  • 認定アディクションカウンセラーIV
  • 上級12ステップ回復ファシリテーター
  • CINAPS 再発予防認定スペシャリスト
  • 米国NLP協会 公認トレーナー
  • ABH 公認トレーナー(ヒプノセラピー)
  • 国際ジェネラティブチェンジ協会 認定コーチ
  • 米国ケリーファンデーション・リカバリーダイナミクスプログラム認定プロバイダー
  • CACJ 治療共同体認定アディクションカウンセラー
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