今回のインタビューは、テキスト版でお送りいたします。

ワダ:
今回、急遽実現した特別インタビューと言うことで、少し短いインタビューになりますが、ドイツを脱原発に導いたと言われるドキュメンタリー映画『第4の革命』のフェヒナー監督にお話しをお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。
さて、今回、上映イベントのための来日と言うことですが、監督は日本に来られたのは初めてですか?
フェヒナー:
今回で3回目の来日になります。一番最初は、日本でのオーテックで潮流温度差発電の取材をしに来ました。二度目は、昨年10月にドイツ文化センターで、この「第4の革命」を宣伝するためにやって来ました。
ワダ:
そうですか。前回来られたのは震災の後ということで、震災の前に来た日本と震災後、原発事故があった後の日本に来られて、状況の変化をどのように感じていますか?
フェヒナー:
そうですね、確実に変化を感じています。一番最初に来た時は8年前で、何と言えばいいでしょうか、日本はとても閉鎖的な空気を感じました。私が日本の方に再生可能エネルギーの話をしても、多くの人は懸念を示しまして「この国ではそんなことは無理だよ」というコメントもたくさんありました。去年の10月に日本に来日した時は、確かに大きな再生可能エネルギーの受容があると見込んだのですが、まだ皆さんは3・11からのショックやトラウマから抜け出していない様に感じました。それで、今1月ですが、2012年という新しい年明けが関係しているのかも知れませんが、皆さんもう少しポジティブな希望を持っている様な気がしています。この映画を見てくれた多くの人たちから、新しいエネルギーシフトに向かっての意欲をとても強く感じています。
ワダ:
私も今回岡山で上映会を主催したんですけが、150人近くの人たちが来てくれて、全体のムーブメントとしてはほんとわずかなものではありますが、これをきっかけに、この映画も、再生可能エネルギーへのシフトもどんどん広がっていくことを期待しています。
ところで、監督がずっと見つめてこられたのは、原発というよりは新しい再生可能エネルギーへのシフトだと思うんですけど、実際に、日本で原発事故というものが起こってしまった。この日本は東洋の国だけれども、ドイツと似ている部分が多いように思うんですが、その中でこの事故をどのように感じられていますか?
フェヒナー:
そうですね、おっしゃる通り、私は原子力発電だけにフォーカスをあてるのではなく、エネルギーシステム全体を変える運動の一員として活動しています。この「第4の革命」では、石油や原子炉に依存する今までの大規模な集中発電、これをやめて、これからは100%再生可能エネルギーを使った小規模分散型の発電に変える。このエネルギーを使ったら、必ず世界中のエネルギーが100%再生可能なエネルギーになるという様に信じて、この映画を作ってきました。ですので、この「第4の革命」は、世界中さまざまな人たちへのムーブメントへの参加を呼びかけるものとして出しました。
3・11の大きな被害、そして福島原発事故、この二つは本当にドイツの人たちに大きなショックを与えました。私たちは、東北そして福島の被災者、犠牲者の人たちに本当に心を痛め、その直後にドイツで大規模な脱原発デモが行われました。私個人も10歳の娘と7歳の息子、家族そして会社の社員も引き連れて800キロ離れたところにある、ハンブルグでの15万人規模のデモに参加しました。そこでドイツに2つある原子力発電所の間を、参加者15万人が150キロの距離を手をつないで、人間の鎖を作るというデモンストレーションもありました。
ドイツでは30年間、脱原発活動が続けられたわけですが、それも去年のドイツ政府の正式な脱原発宣言の理由の一つになっています。ドイツは2020年には、完全に原子力発電から撤退するというわけです。
ワダ:
ドイツで15万人の脱原発デモがあったということは、日本でも報道されているのでみんな知っていると思うんですが、日本ではたった1万人程度でした。最近になって、デモやパレードも参加者がかなり増えてきて、原発をやめようというアクションも目に見えるカタチで活発になってきているように思いますが、日本人の性質、文化というものは少し違うんだとは思うんですけど「もっと日本人は声を上げてもいいんじゃないか」「行動してもいいんじゃないかな」と、僕自身は思っているんですが、監督はどのうように感じられますか?
フェヒナー:
そうですね、やはり学ぶしかないと思います。元々ドイツはそのようにデモをしたり、政府にたち向かったり、歯向かう様なお国柄ではないのですが、世界大戦では上からの指示に従う兵士の様な国の雰囲気が強かったんですが、30年間で脱原発活動が国で続けられてきて、少しずつ社会全体の空気が変わってきました。70年代には民主主義、自由主義がもっとオープンになり、たくさんの社会的実験が行われてきました。私も含めて、たくさんの若者が参加したんですが、80年代には反戦運動も盛んになり、90年代にはグリーンムーブメントが活発になりましたね。
1999年に社民党とみどりの党の連立政権が誕生しまして、そこで初めてドイツでは政治的、経済的にエコロジー、グリーンムーブメントが力を入れる様になりました。このデモに参加する一市民として、このエネルギー問題へ参加するのは本当に個人の自立心を芽生えさせるものにもなるんです。そして、日本ではこのドイツの様な成果の実現は、もっと早く可能になると思っています。3・11での福島原発事故の影響もありますし、なにより個人個人が自分のエネルギーを信じ、自分ができること、そして本当に100%再生可能エネルギーが実現できるんだということを信じれば、これは可能になります。なによりも、福島原発事故の被災者の方々のためにも日本は一丸となって、このエネルギーシフトを実現するべきではないかと思います。実際に、日本の方からもたくさんそのように言われました。そんなことからも、私は日本のこれからの将来に希望を持っています。
ワダ:
ところで、ドイツでは、原発やエネルギー産業の利権構造というのは、どのようになっているでしょうか?
フェヒナー:
ドイツでもたくさんの抵抗勢力がありました。政治家、企業、ロビイストなど、団体機関がエネルギーシフトを今でも反対しています。特に、企業などは政府との繋がりが強かったのですが。それにも関わらず、ドイツ政府が福島原発事故の3ヶ月後に脱原発宣言をしたのは、これまでの抵抗勢力の側は大きなショックだったと思います。今でも抵抗は続いています。
そして、固定価格買い取り制度にも反対を示す政治家もいまして、今日知ったことなんですが、ドイツの経財相大臣がこの再生エネルギーの固定価格買い取り制度を廃止しようと言っているらしくて、今でも戦いは続いています。しかし、この動きはすでにスタートしていますので、もう止めることはできません。しかし、私たちは気を緩めずにこれからも情勢を見張ることが必要です。
ワダ:
日本ではかなり変化は感じますが、大手メディアも含めて、抵抗する勢力がまだまだ非常に強いと思います。再生可能エネルギー100%実現して行くために、どんな働きかけや行動をして行くのが大切だと思われますか?
フェヒナー:
そうですね、メディアのことをお話されましたが、確かにメディアが全体的に開かれなければなりません。ただ、大手の新聞やテレビの中で働いている人たちは、一人ひとりの人間の集まりですから、シリアや中東の国々でも人々がインターネットを使って、社会を変える活動ができましたが、メディアが開かれることは本当に大事だと思います。独立メディアの方が、利害関係なく人々にメッセージを届けられる力を持っていますので、そのような面では、私はいま希望を見いだしています。
ワダ:
最後に一つお聞きしたいのですが、これからの日本の可能性について感じていることや監督から日本の再生可能エネルギーに向けたアクションに対しての皆さんへのメッセージをお願いできますか。
フェヒナー:
はい。日本はドイツより遥かに再生可能エネルギーのための資源に恵まれている国です。日本はドイツより4割増以上の太陽光発電が可能で、島国であるということから風力発電、水力発電、そして、海洋温度差発電もとても活用できる国です。ドイツでは、固定価格買い取り制度がスタートして10年で全体エネルギー発電の20%を再生可能エネルギーにできたのですが、2020年には50%が再生可能エネルギーになるという計算です。それは、国民が活動を始めたからですね。
まず「自分のために何ができるか」「自分の力でできるものは何か」という風に考え、自家発電でしたり、ソラー発電の投資などさまざまな方法はあります。ですので、この映画『第4の革命』を観た人が「自分も世界規模で行われている、このムーブメントに参加したい」という風に感じてもらえれば本当に嬉しいのですが、この活動はエネルギーだけの活動ではなくて、自己の革命でもあるんですね。人々の心や考え方を自由にします。ですから、小規模分散型のエネルギー発電によるデモクラシー(民主主義)を始めるには、上からの指示、周りからの行動指示を待たなくてもいい、自分から始められるんです。私たちの心で感じ、頭で物事を考え、足を動かし歩き出し、そして、必要によっては拳を握りしめて戦わなくてはなりません。いま、世界中が日本に注目しています。 私は、本当に日本のこれからの将来に希望を見い出し、期待しています。ぜひ、再生可能エネルギー100%へ、一緒にシフトして行きましょう。
ワダ:
とても力強く、素晴らしいメッセージを、本当にありがとうございました。 みんなで力を合わせて、ぜひ、新しい世界へシフトして行きたいと思います。
フェヒナー:
応援しています。ありがとう。
ワダ:
ありがとうございました。
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【取材後記】

1月14日(2012年)に、全国一斉に『第4の革命』の上映会が行われた。すべての都道府県というわけにはいかなかったが、全国主要都市を始め、かなりの人々がこの日、この映画を見て、再生可能エネルギー100%へ動きを加速するべく、人々が意識を一つにした日でもある。もちろん、これまでも再生可能エネルギーへのシフトへのアクションは、多くの活動家を始め、人々によって行われてきたが、福島第一原発事故後、多くの人々の気づきがあり、認識が変わって、再生可能エネルギーへのシフトは必然的な方向へと意識づけられたと言ってもいいだろう。

『第4の革命』は、公開当時約13万人が映画館に足を運ぶ、こうしたドキュメンタリー映画としては異例のヒットとなった。そして、3.11以降、ドイツでTVで放映され、約200万人がこの映画を視聴し、ドイツが国として脱原発を決断する方向へと導いた映画とも言われている。この映画を製作したフェヒナー監督は、とても情熱を持ってこの映画に取り組み、そして、監督自身が、再生可能エネルギーへのシフトへと精力的に活動している一人だ。映画監督ではあるけれど、再生可能エネルギーへのシフトを訴える活動家という側面もあると言えるだろう。監督の思いや言葉はとても明確で、明晰だ。それは、監督がこれまでの取材や映画の製作の中で調査し、多くの現場に足を運んで、専門家の話を聞き、対話してきた中で得てきた情報や可能性に対する確信から導き出されたものだろう。

『再生可能エネルギーへのシフトは100%可能だ』

監督は自信を持ってそう答える。僕もそれに同意するし、そうならなければ地球の未来はないだろう。地球の未来、人類の未来を保証するのは、神様ではなく人間自身。どんな未来にしたいのか、どんな未来を創造するのか?それは、すべて僕たちの選択にかかっている。子供たちの、そして、またその子供たちの未来のために、僕たちは責任を持って、持続可能な選択をして行かなければならない。

今回は、急遽、フェヒナー監督を取材できることになり、わずか、20分という短い時間でのインタビューであったために、監督個人の思いやその背景へと迫ることは出来なかったけれど、これからのエネルギー問題への意識を高めるヒントとなれば幸いです。

カール -A・フェヒナー
プロフィール

『第4の革命〜エネルギー・デモクラシー〜』ドキュメンタリー・映画監督

1953年ドイツ生まれ。ジャーナリスト、監督、プロデューサー。1989年よりフェヒナーメディア社CEO。16歳の頃から映像制作を学ぶ。22歳の頃にはサハラ砂漠を車で縦断する旅に出る。大学ではメディア学を学ぶ。

1983年、長女が誕生したことを機にフリーランサー及び平和活動家として数々のデモに参加。フリーランス時代はARD(ドイツ公共放送)の海外特派員として戦争報道。湾岸戦争の取材等を行う。中距離核弾頭ミサイル配備や核廃棄物輸送反対デモに参加し、拘束された経験もある。1991年より方針転換。戦争報道等、悲惨な状況を伝えるより、解決方法を提示したいと、持続可能性(サステナビリティ)をテーマにTV番組やドキュメンタリー映画を制作。

2010年、4年の歳月をかけて製作したドキュメンタリー「第4の革命」は、ドイツで13万人を動員。2010年ドイツで最も観られたドキュメンタ リーとなる。当映画はドイツ国内で150万ユーロの寄付を企業、個人から集めて制作。3.11東日本大震災以後、 5月3日にアルテ(ドイツ・フランス共同テレビチャンネル)、5月19日にARDで放映され、200万人以上が視聴。ドイツの脱原発に一定の影響を与えた映画となる。6月6日、ドイツ・メルケル首相は2022年までの「脱原発」を閣議決定している。

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