コンサートは、場のエネルギーが持つ偶然性が楽しみ。
和田:  ウォンさん、今日はよろしくお願いします。
ウォン:  よろしくお願いします。
和田:  ウォンさんとの出会いは、3年前くらいでしたか?
ウォン:  いや、もう少し前のような気がします・・・笑
あれは確か、本田健さんのイベントの打ち上げだったと思います。
和田:  ウォンさんは、それまで岡山でコンサートをしたことがなかったということで、僕はコンサートを主催した経験はなかったのですが、ぜひ岡山で演奏していただきたいと思って・・・
 ミュージシャンをお呼びするのって、初めてだったから緊張感もあったんですね(笑)
だから、ウォンさんをお呼びして、ウォンさんの人柄に、そういう緊張感が取れたっていいますか・・・(笑)。
ウォン:  いやいや、緊張してもらわないと困るんですけどね(笑)
 僕は、和田さんに招待されて岡山に来た時は、ほんとにきめ細かい、デリケートな目配り、心配りの中でコンサートをさせて頂きました。それは、本当に印象深いコンサートのひとつになりましたよね。
和田:  どうもありがとうございます!!
 当時は、どういう形でできるかわからなかったので、最初は仲間内に声をかけて集めれば100人くらいは集まるだろうという事で、プライベートコンサートみたいな感じになってしまいましたね。
   ウォンさんには、少しこじんまりした演奏会だったので、失礼だったかなあと思いました。でも、僕は充実した演奏会になった気がしてます。
ウォン:  はい。本当に会場といい、オーナーといい(笑)。すごくアットホームで温かみがある、今までとは違う非常に文化的で、アーティスティックな雰囲気で、コンサートをやらせていただきました。和田さんゆかりの方々が、東京を初め、九州、全国から集まっていただいて、その後の懇親会にも参加されて、人の繋がりの持つエネルギーを感じさせてもらいましたよ。本当にいい体験でしたね。
和田:  去年も、何とかコンサートを実現できて、ウォンさんも瀬戸内海の直島を楽しんでいただいたりしました。そして、今回はついに3回目に突入という事ですね!
ウォン:  はい

Naoshima 2006
和田:  今回は、岡山のルネスホールという場所で開催します。規模は今までの3倍くらいに拡大して300人くらい集まれる場所です。みんなさんに協力してもらって、素晴らしいコンサートにしたいと思っています。
ウォン:  そうですね。場所のエネルギーってコンサートにとってはすごく大事です。
コンサートはひとつには、セレモニーといった要素が強い部分がありますので、そのエネルギーが持つ・・・空気もしくは、そこの場所がもっている濃度とでもいいましょうか。
 切り取られた空間の中で、みんながひとつのプロセスを経て、ある心的な状況、心の状況を作っていくわけです。それは、本当に場所というものの大事さと、その時に主催をする人と関わっている人、それともちろんお客さんも含めて、そして僕も含めて、あるひとつのかけがえのない瞬間を創っていこうとする、まさしく“意識の集合”“集合無意識”のようなものの “表れ”のような場所として、コンサートはあるわけです。そんなことを実現できれば、非常に楽しいと思いますね。
和田:  今度の会場は、もともと日本銀行の建物で、取り壊される予定だったんです。
理解ある方々が集まって、何とか頑張って取り壊しにならずにルネスホールとして再生され、生まれ変わった場所なんです。コンサートホールとしては、外の音とかも若干入ってきたりするので、特にウォンさんの音楽は、静かで瞑想のような状態で聞いていただきたいのですが・・・
集中した、空間の場ができれば、気にならなくなるようなところもあると思います。
ウォン:  そうですね。不思議なもので意識の状態によって音が雑音に聞こえる時もあれば、例えクルマの音ひとつにしても、まるで背景のようなものになって、音楽の一部あるいは音楽を作っていく、音楽とコラボレーションすることによって、まったく別のイメージを作ったり、これはまさしく“意識のあり方”の問題なんです。また場所にもよると思います。だから、例えば、都会の騒音の中に、ふっと向こうから聞こえてくるピアノの音に、ハッとするようなこともあるわけです。何が起こるかわからない、ほんとに場のエネルギーが持つ偶然性が、とても楽しみだと思いますね。
和田:  そうですね。環境が整いすぎるとCDを聞いてるような感じになりますから、ライブ感があって、いいなあと思うんですけどね(笑)
ウォン:  実を言うと、今までに印象度の大きいコンサートっていうのは、状況が悪い時の事が多いんですね(笑)
 コンサートホールっていうのはすべてにおいて準備されていて、CDとまったく同じではない、生の音の素晴らしさっていうものがありますが、湿度や温度、空気、反響、残響、遮音、シートの状態や照明などを完璧にしてあるコンサートは、やはり1つの研ぎ澄まされたものにはなるけれど、何故か不思議と印象に残るコンサートっていうのは状況が悪い時が多いっていうことも、ゆるがせない事実なんですね。
 だからといってわざと環境を悪くしてもらっては困るんですけどね(笑)そこらへんは、本当にすべて起こるべくして起こる。そして、僕たちが、どのくらい開いていられるかって言うところに尽きると思いますね。
和田:  エネルギーは高めて、ベストな状況が整うように、しっかり祈っておきたいと思います(笑)
 そんなウォンさんなんですが、全国でもあちこちお忙しくされていて、どのくらいのペースで年間活動をされていますか?
ウォン:  そうですね。年間コンサートだけで約40本くらいやっているでしょうかね。それ以外にCDの制作(企業のためや、組織のための音楽制作)売れてるアーティストなんかと比べても、決して忙しいわけではないんです。僕自身は今以上に忙しくしたくない(笑)と言うか。非常にいいペースで、自分自身を見つめる時間もあるし、人とかかわる時間もあれば、音楽やる時間もあれば、本を読む時間もある。そして、なにより瞑想する時間もあるといった感じです。そのことで言うならば、もうちょっと瞑想する時間を増やしたいという思いはあるんですけどね。
和田:  ウォンさんの音楽の取り組みとして、瞑想というものは非常に大きな部分だと思います。その話は、後ほどにおいておいて・・・。
演奏している時、僕自身が、耳そのものになっている。
和田:  最近の活動として僕も昨日見てきたんですが、純愛という日中共同制作の映画の音楽監督をされて、作曲、演奏、その他すべてをされていますね。本当に素晴らしい映画だったんですが、先ほども雑談で映画作りの中でのウォンさんの音楽について、お聞きしたんですが、今回の映画の中で、ウォンさんの音楽に対する想いというか取り組み、どんな風に関わられたのかっていう部分を少しお話いただければと思います。
ウォン:  映像と音楽っていうのは、僕の活動の中でも大きなテーマの1つになっていて、映像の持っているイメージ喚起力と音楽の持っているイメージ喚起力それぞれが自立したものとして出会った時に起こるサムシングエルスっていうか、映像なり音楽なりがそれをさらに超えていった時に、ある何かが出現し立ち現れる。それは、もちろん心象として人間の心の中に起こっていくものなのですが、そういったことが非常に起こる場のひとつなので、僕は、今回の映画に参加するということをとても楽しみました。

 8年前に、製作者がこういった映画を作る話を聞いた時は、半信半疑だったんですけど、時が経つにつれて、映画を作ろうとするエネルギーの集積として、非常に困難な状況があったのですが、昨年遂にカタチになりました。
 初めて映画音楽を作ったのですが、映像を見ながら毎日この映画の持っている映像のエネルギーにすっかり入り込んで、シーンごとの音の出会いを楽しんだなあという感じですね。
和田:  8年前に話があって、しかしながら、その間はどういうものができるのかっていうのはわからいわけですね。長い期間ですよね。

http://www.jun-ai.jp/
ウォン:  そうですね。僕は、今回の映画に関わらず、すべてのことに関して開こうっていう思いがあるので、できる時はできるだろうし、できない時はできないだろうっていう位にしか思っていなかったんです。でも、今回のような映画を作るっていう話は、億単位の資金が必要だったので、資金的に非常に難しいから、周りの人は半信半疑の人が多かったのではないかと思います。映画のプロデューサーである小林桂子さん自身は、この映画はできると信じてやってきたんですけどね。こうしてできてしまったという事は、プロデューサーの想いのエネルギーの強さだと僕は思っています。
和田:  そうですよね。みんなを引っ張っていくというのは、その想いの強いところから来てると思うんですけど、僕は、映画を観て後半20分くらい号泣状態で、目を腫らせて出るわけにはいきませんから、途中から目を抑えていました。(笑)
 それでも、目がはれてたとは思いますが(笑)ほんと泣かされました。
 今もずっとなんですが、テーマ曲がヘビーローテーションしていて、電車に乗っても、ここにくる間でさえもテーマ曲がずっと響いています。悲壮じゃないんですけど、何て言ったらいいんでしょうね(笑)
ウォン:  マインドフルネスっていうか(笑)、気持ちがいっぱいになってる状態ですよね(笑)
和田:  ドラマチックなテーマ曲が素晴らしいですよね。その運命に翻弄される人々っていうそんなイメージの曲なので、それで東京を見ていると・・・(笑)音楽って、インパクト強いですからね・・・
 ウォンさんの音楽を聴いた人の意見を聞くと、みんなさん映像が湧き上がってくるという、非常にビジュアル的な音楽ですよね。僕自身もウォンさんの音楽を聞いていると、いろんなシーンが不思議と出てくるんです。今回はそういった意味で映画、映像っていうものと結びついて、ベストなコラボレーションだったなと思います。
 ウォンさんが、通常の音楽を作られる時は、実際に映像とかを思い浮かべながら作られる場合もあるんですか?
ウォン:  ええ。色んな作曲法なり、イメージを作っていくプロセスの中ではノウハウはたくさんあるんですよね。
 良く聞かれるんだけど、例えば映像というものがあって、それに音楽をつけるという今回の映画のような事もあるわけですが、一般的には、僕は自分の音楽をつくる時に、映像が先行することはあまり無いんです。つまり自分の音楽を作る時、何らかの映像を思い浮かべて、それに合わせて曲を作るっていう事はしたことが無いんですね。
 僕の職業は、今のコンサート活動をする前っていうのは、TVコマーシャルの映像に音楽をつける事をメインでやっていました。映像と音楽っていうのは、僕にとって縁が深いものですが、でも、今は映像先行で作ることはないんです。
 また、演奏している最中に、映像を思い浮かべることも絶対に無いです。演奏している時に僕は何をしているのか?と言うと、自分を開いて、音そのものに預けているというか、深いレベルから音を聴いているっていうか。何かに集中している時には、誰も体の事なんて意識しなくなるでしょ。僕自身が、耳そのものになっている状態です。
和田:  何かインスピレーションが頭の中に沸くってよく言いますけど、インスピレーションが沸いたものを僕たちがデザインやビジュアルに落とすっていうことよりも、ビジュアルそのものになるっていうか。もしくは、聞こえたものを翻訳してピアノに落とすのではなくて・・・・。もう、そのものになるわけですね。
ウォン:  そうですね。はっと思った時には、すでに指が動いている。イメージの後に音楽がくるのではなくて、まさしく、何かの情動の様なものがそのまま音になっている瞬間だと思います。
和田:  話が少し広がってしまうかもしれないんですが、僕のいろんな体験の中で、ある時に、人間の知性には限界があるというインスピレーションがあったんです。それは人間がいくら論理的に物事を考えたり、人同士お互いが理解できるコミュニケーションの枠を超えた、我々の人間世界でのもっとも知性が高いとされる人たちが、会話できるものを超えたところにあるメッセージや情報の世界があるんじゃないかと思うんですよね。そういうものを、アーティストはキャッチして表現している部分がものすごくあるんじゃないかと思ってるんです。
ウォン:  それは多分アーティストだけではなくて、普通の人も常にやっていることだと思うんです。人間っていうのは、本来自分を超えたものなり、自分を超えようとするエネルギーを個々に持っていて、それが人間たらしめていると僕は思うんです。例えば、今僕も普通にこうして和田さんと会話しているわけですが、和田さんが僕に問いかけるその瞬間には、和田さんを超えるもの、あるいは僕自身を超えるものを向こう側に求めて今の会話をしている。人間っていうのは常にどんな場面でも何かを求め続けています。
 小さい時でも、大人になっても、死ぬ直前になっても、それは全く変わりは無くて、常に自分を超えたもの、超越的なものを求めている存在として、人間はいるのではないかと思えるんです。だからアーティストは、そういったものを音楽や映像っていう表現の形で、みんなの前に提示しているけれど、提示していない人たちでも常に自分を超えつつ、今現在を生きている、と思えてならないんです。
和田:  表現っていうものの技術、テクニックの部分とか、もしくはキャッチしていてもそれが表に出てこない、表現として出てこない場合もありますね。
ウォン:  現象として、第三者に見えない場合ももちろんあります。
でも、本人は本人自身に対して自分を超えている何かにアクセスし続けているとしか思えないんですよね。
特別なサムシングエルスが、音楽の向こう側にはある。
和田:  少しウォンさんの音楽との出会いという部分をお聞きしたいんですが。先ほど、以前の仕事の話を聞きましたが、音楽活動に入るきっかけや経緯を教えていただけますか。
ウォン:  (笑)・・・長い経緯があるんです・・・(笑)
 僕は幼児期に情操教育でピアノを弾いていたんですが、当時はそこに音楽的なものは何も感じられませんでした。それでもやはり音楽が好きだったんでしょうね。小学校の高学年の時にトランペットを吹き出して、中学に入ってからはギターやドラムの演奏をしました。高校に入ってから、自分を閉ざしていく傾向になり、その為に音楽も捨て、何もやらなくなるんだけど、でも音楽を聞くことだけはやめなかったんです。  
 その為に、逆に音楽に求めるものがとても高いものになり始めて、自分では理解できないような高度なジャズやクラシック音楽、現代音楽を聞き始めるんだけど、あまり理解はできず、ただ、そこに惹きつけけられていた感があったのと、僕は中学時代に校内暴力を受けていた経験があって、非常に心がすさんでいた時期がありました。音楽を聞く事によって自分自身をすごく癒していたんだなぁーと今では思えるんです。
 それで18歳くらいになってから「僕は、やはり音楽が好きなんだ」と目覚めていくと同時に、これから残りの自分の人生をどうしたいのか?と思いました。その頃は、自殺願望が強かったんですが、音楽的自殺を図ろうと(笑)いう気持ちが沸いてきたんです。そして、19歳からプロとして活動を始めました。
和田:  高校の頃の活動は、何も始めてはなかったんですか?
ウォン:  何もしてなかったですね。高校の最後くらいになって僕は、音楽をやるって言い始めたんですよね。音楽的自殺っていうと、なんだか変ですが、かなり激しい自己破壊行為というか、自己解体行為として音楽を演奏するようになっていくんですよね。それが19歳くらいの時かな。
 当然、そういう音楽って言うのは音楽じゃないし、でも何故か聞いてくれる人は多かったんですけどね。解体作業が、どんどん進んでいく中で、自分自身が、何がなんだかわからなくなっていくっていう状態に陥っていって、21歳か22歳の時には、一度音楽ができなくなるような状態にまでなっていきました。
和田:  解体っていうのはアバンギャルドな演奏のスタイルのこと?
ウォン:  そう。アバンギャルドな演奏のスタイルに、しかも非常に攻撃的な、オーディエンスを当惑させていって、攻撃していくようなスタイルだったと思います。(笑)
和田:  例えば、それはどんな感じの音楽ですか?
ウォン:  その頃の友人が、僕の音楽を聞いて
「音が、心を突き刺す!」って(笑)
和田:  怖いですね(笑)
ウォン:  そういう表現をしてくれた人がいるんだけどね・・・(笑)まあ、どっちかっていうと鋭角的な音を寄せ集めて、乱射していくような・・・・。
和田:  通常のメロディーがあるような、ないような?
ウォン:  メロディーなんてものは、考えたことがなかったからね(笑)
和田:  ほとんど「ガンガンガンガーン!!!」って感じですか(笑)
ウォン:  そうです!!もう肘で鍵盤を打ってたって感じがしますけどね。指が壊れて血が出て、鍵盤が真っ赤に染まったり。
和田:  うわー、すごいですね〜!!
ウォン:  (笑)
和田:  (笑)今のウォンさんの音楽を好きで聞いている人たちは、全くそういう世界を知らないと思うので驚くと思います。
ウォン:  当然、そういう音楽スタイルなり、音楽行為をしていると自分に跳ね返ってきますので精神的にも病んでいました。そして、精神的にも身体的にも音楽ができなくなる時が来る、その時に実を言うと、何かに目覚め始めるんです。
 それは音楽に何か・・・、あえていうなら本質や真実の様なものがある・・・・と。
特別なサムシングエルスが音楽の向こう側にはあるんだと。ある特定のアーティストの演奏の中で、なんだか自分を惹きつけて、どうしようもならないものがあったりだとか、当時一緒に演奏していた、薬物中毒で死んでしまったベーシストがいるんだけど、彼の演奏の中に、命そのものであるような何かを、音楽の中に感じる瞬間があったんですよね。自分はそれを求めているんだって気づいてきたんだよね。
今までの自虐的で、攻撃的な音楽をやめると同時に、その時から音楽本質を求め始めた。だから、僕にとっての出発地点は22歳くらいからだったと思うんです。
和田:  その頃は、ジャズの演奏は?
ウォン:  ジャズも演奏したんだけれども、そこで挫折して自分は表立った演奏の活動を辞めるんです。裏方さんというか、職業ミュージシャンになっていくのだけれど、時々曲を書いたり、ポップスをやったり、グループのバックとしてスタジオミュージシャンをやったりっていう形でしたね。つまり、人からオーダーをもらって、それに答えてお金を貰う生活だったんだけど、そういうものを生業にしながら、でも、それは世を忍ぶ仮の姿で、本心はどこかで本当の音楽をやるんだっていう意識をもっていました。
 そして、そのビジョンを見つけて、それを具現化すべく内的な探求、何か自分にとっての音楽の本質ってものを追い始めるんです。
和田:  職業ミュージシャンとしてやればやるほど、色んなオーダーを受けますよね。そうすれば、もちろん仕事なのでクライアントが求めるものを完璧に作り出そうとすると思うんですが、それに対して、本来、ウォンさんの中にある本当の自分の音楽は、違うだろうっていう問いかけが、どんどん深くなってきたんでしょうか?
ウォン:  微妙な葛藤は確かにありましたよね。追い求めているものを職業上の音楽の中にドッキングさせていくなり、注ぎ込んだりしようとしながら、僕は音楽をやっていたので、決して自分の中では分けられるものではなくやっていました。
 逆に言うならば、だから職業音楽家としては、成功しなかったのではないか(笑)と思ってるんです。自分の求めてる音楽性を、職業音楽的なものの中に注ぎこもうとする時に、当然クライアントやプロデューサーと遊離していくわけです。
 ところが、不思議に彼らの中でも僕の音楽を受け取ってくれてる人って言うのは、そこに何かのサムシングエルスがある、もしくは、僕が求めていると言うことは当然感じるわけなんです。彼らも何かを求めて音楽をやってるわけだから。
 実は、職業音楽家の人たちは、何を求めてるかって言うと、まさしく音楽そのものを求めているわけだから、僕の中に何かを感じつつも、商売にはならないっていうハザマの中で、彼らも僕を扱い兼ねたっていうところがあるとは思いますね。
 だから、僕は職業音楽家としては、決して成功はしなかったけれど、なぜか排斥もされなかったんだよね。
和田:  う〜ん。なるほど。
ウォン:  ひどいんだね僕は・・・スタジオミュージシャンとしてやってくでしょ。普通スタジオは3時から使ったとしてスタジオの使用料なんて10万円20万円って、1時間ですごい桁のお金が飛んでいくんだけど、僕は1時間、2時間平気で遅刻してたからね(笑)
和田:  何もない状態でお金が飛んでいくんですね(笑)
ウォン:  その間、2時間みんなムッとしてるんだけど(笑)
 職業ミュージシャンとしては、いろんな意味で、僕の扱い方は非常に困った形だったと思いますね。
和田:  でも、実際こうして自主レーベルを立ち上げることになっていく背景っていうのは、やはりそういった葛藤から「自身の音楽をやりたい」っていう思いの高まりが、あったからなんですか?
ウォン:  そうだね。20代の前半から、何か本物の音楽を探し始めて、実をいうと自分のビジョンっていうものを求めているから、当然、それはふらふらっと音楽のエッセンスとして組み込まれてはいるものの、完全な形では成就しないんだよね。
 僕は、ずっと追い求めていくんだけど、30代半ばで、追い求めていくことに疲れて、結局、自分の物にすることができず、追い求めれは追い求めるだけ去っていくっていうか・・・
和田:  それは、クライアントの依頼してきた仕事としての部分ですか?
ウォン:  クライアントの依頼を受けての場合もそうだし、自身の仕事もそうだし。個人で探求していくプロセスでも同じで、非常に錯綜する、迷妄する辛く、しんどい時期が長く続いて、35、6歳くらいの時に、身体的にも、精神的にもかなり限界に来ていて「もう、だめかな〜」っという時期があったんですよね。
 要するに、今まで20代前半から15年も追い求めて、結局駄目だったって事は、僕の人生も終わりかなっていう雰囲気の時に、瞑想を始めるんだよね。
和田:  面白いですね。20代の初めの時は「音楽的自殺」っていう自殺を図ったわけですけど(笑)
ウォン:  自殺を図っても生き延びるんだけど、今度こそは・・・・(笑)
和田:  自殺ではなくて、精神的な側面で沈みかけてしまったっていう・・・・。
ウォン:  そうだよね。ほんとに先が全く見えないし、身体的にも精神的に死にきっちゃったのが30代半ばだったね。
和田:  そういう時に瞑想っていうのは、かなりインパクトが大きいものだったんですか?
ウォン:  大きかったですね。何をやっても駄目だったので・・・
僕の中で何かをするってこと自体が、論理的に解決しようとしている傾向があったようだね。音楽って言うのは、その論理の向こう側にあるものだから、手に入れられなくても当然って言えば、当然だったよね。かといって宗教的なもので、何かを手に入れられるとも思わなかったんだよ。瞑想って言うのは、非常に宗教性が強いものだから、すごく自分には胡散臭くって、自分がやるとは思わなかったんだけど、でも、自分の船が沈みかけている時はしょうがないって思いがあったので・・・
すべては宇宙の計画通り。
和田:  ウォンさんの中での音楽的な限界点っていうのは、瞑想によって解決した、そういうところと繋がっていたっていう事よりも、人生全体の中、全体で・・・って言う事ですよね。
ウォン:  そうだね。僕が、音楽的な座礁をした段階っていうのは、身体的に、精神的、人間関係的、仕事や生活的にも全ての面で、にっちもさっちも行かない状態でしたからね。
和田:  当時っていうと、今から15年くらい前ですか?もっと前ですか?
ウォン:  もっと前ですね。35〜6歳の話で、瞑想を始めたのは1987年の8月30日。
あれっ?今日じゃなかったかな?
和田:  今日は、30日ですね!!!!
ウォン:  今日が、僕の第二の誕生日なんですよ!!!!
和田:  命日と生まれ変わりと一緒なんですね!わ〜すごいですね!ていう事は、ちょうど20年前じゃないですか!?
ウォン:  ええ!!!今から、ちょうどぴったり20年前に瞑想を個人指導受けたんです。
和田:  20周年記念ですね!!!
ウォン:  そうです(笑)
和田:  おめでとうございます。(笑)
ウォン:  ありがとうございます。(笑)
(ぱちぱち拍手・・・・・・・・・)
和田:  お祝いしなきゃいけないですね(笑)
ウォン:  いや〜、ほんと。
僕の瞑想は、マントラを使う瞑想法なんだけど、まさしく20年前の今日、マントラをもらった日なんです!!
和田:  素晴らしい!!!
すごい日にインタビューになりましたね。ほんと。
ウォン:  いやー、今思い出したよ!!今日だよ!!!!(歓喜)
1987年8月30日に、僕はマントラをもらって瞑想を始めたんだけど、その時の体験っていうのはすごかったんだよ。マントラをただただ繰り返していくうちに自分の意識の状態がどんどん変わっていって、手の感覚や足の感覚、体の感覚も軽くなって、意識そのものだけになっていく様な感覚で、マントラがとてもクリアに繰り返されていく中で、聴覚だけが研ぎ澄まされていって、僕が瞑想を教えてもらった場所は、麻布にあるビルの4階か5階の一室でやっていたんだけど、どんどん、どんどん壁が取り払われていって、麻布中の音が手に取るようにわかる、つまり目で見ると世界が見える様に、耳がその空間全体、麻布の街全体を聞き取っている様な空間が、見えてくる感覚になったんだよね。
僕は、瞑想している間は時間感覚が無くなっていって瞑想から戻って、5分くらいしかたっていないのかなと思ったら、もう15分か20分くらいの時間がたっていたりとか・・・
何よりも、すごい幸福感というか、至福感、エクスタシーを感じてるんだよね。僕は、瞑想から戻ったその時の体験を、自分の過去の体験に思い出したわけ。
僕が納得のいくいい演奏をする時も、年に何回かあるんだけど、自分が一生懸命いい演奏をしようとしても、なかなかできない。ある瞬間、何かが降りてくる、何かに委ねてしまった状態になって、自分の意思に関係なく、いい演奏ができる時があったんです。ふっと気がつくと、演奏してる間、時間的には短かいのに、いい演奏したって云う意識だけは残っている。だけど、その時の記憶がない。その感覚と瞑想は、同じ質のものだった。つまり、自分が追い求めていた音楽のビジョンの本質と同じ意識状態になっていることに気がついたんです。

Photo: Hitoshi Iwakiri
和田:  それが20年前ですから、その時は、仕事を請けられない状態になってたんですよね?
ウォン:  そうだね。自主的に、どんどん少なくなってはいたし、TVコマーシャルの仕事も平行してやってはいたんだけど、業界の仕事は、自分にとっては、もうどうでもいい存在になっていました。
 でもそういう体験の後は、どんどん音楽も変わっていったので、仕事のスタンスもどんどん変り、人間関係もどんどん変わっていって、自分にとって必要のない人間関係はなくなっていって、逆にクライアントとかとはいい関係になっていったりする、不思議な関係になったりとか。TVコマーシャルのクライアントとの間に、プロデューサーとかたくさんいるんだけど、プロデューサーを超えて、クライアントが僕を信頼してくれたり。そんな状況になっていくんだよね。
和田:  音楽の質そのものが、変質していったわけですよね。
ウォン:  そうだね。音楽との向き合い方も変わっていくし、出来上がってくる音楽の質もどんどん変わっていくって感じだよね。
和田:  自主レーベルSATOWAミュージックを立ち上げたのは92年でしたか?
ウォン:  はい。その後、実はいろんな超越的な体験が沢山あるんだけど、ここでは、ちょっと言わないでおこうかな(笑)
和田:  そうなんですか? (笑) そこが一番聞きたいところなんですけど(笑)
 SATOWAを立ち上げるまでの7年間って言うのが、瞑想しながら仕事が順調に行くようになったんですか?
ウォン:  その後、3年くらいが、瞑想をしながら、自分の音楽を構築する時期だった。90年4月8日に、僕は初めて、自分ひとりのピアノリサイタルを開催しました。その時のレコーディングが「ムーントーク」っていうCDになってるんだけど、それが自分の音楽って言えるオリジナルスタイルを前面に出した瞬間でしたね。
 瞑想を87年にして、88年に何故かいろんな仕事関係の人たちの役割が変わってきた中で、日本コロムビアが、僕のCDを作りたいって言い出して、88年の後半に、レコーディングしたのが「フレグランス」なんです。
実を言うと、「フレグランス」を作ったのは88年で、SATOWAミュージックを立ち上げる前なんです。
和田:  そうなんですか。リリースはSATOWAからですよね。
ウォン:  リリースもコロンビアからです。その時のプロデューサーが、僕のジャズ時代の友人だったんです。自分が瞑想を始めて、いろんなプロセスを経て「あっ、そろそろ自分の音楽ができるな」って思った時に、そういうシンクロニシティーが起こり、実際に瞑想し始めてからシンクロニシティーの嵐になるんだけれどもね。その中の1つとして「フレグランス」っていうCDになったんです。
 コロムビアからリリースされたんだけど、その後90年に、僕が初めて自分のコンサートをやって、それが録音されたのが「ムーントーク」。その後「SATOWA」っていうCDを自分で作るんだけど、その時に、いわゆる今までの業界のシステムのやり方では、自分の本当の音楽は、本当の意味でのオーディエンスに届ける事ができないと知っていたので、製作の全てのプロセスを全部自分達でやろうと、妻のサポートも得て2人だけで・・・
 当時、インディペンデントなんて言葉は無く、自主制作という時代に、素人が作るCDではなくて、彼女はデザイナーで、僕は音楽プロデュースの全てのプロセスを知っていたので、業界以上のものを作れるという自信はありました。
 全部のプロセスを、レコード会社ではとてもできないようなやり方で作り始めたんです。
 それで、一番最初に作ったCDが「SATOWA」という1992年に出したCDです。
それ以来、妻とずっと20枚のCDをリリースしてきました。
和田:  その間って言うのは、ずっとこんな風にしていこうというようなビジョンやイメージがあって進めていったんですか?それとも、ひとつ一つ、次のステップが見えてきて、その都度進めていったんですか?
ウォン:  僕たちは、どんなに予定していても予定どおりには行かないので・・・(笑)
目の前にある事を、ベストをつくしてやろうよ!という事でやってましたね。
 音楽を録音する時には、どうしたいの?音楽を作りたい時には、自分は、本当はどうしたいの?それを録音して、録音物を自分はどうしたいのか?それをCDとしてリリースする場合のデザインはどうしたいのか?そしてCDを人に聞いてもらいたい時にはどうしたいの?っていう本当に、ひとつ一つ手探り状態で、でもちゃんとその時その時で、僕たちが出したい答えは内側にしっかり持っていて、そのひとつ一つのプロセスを大事にしてきました。
和田:  と言う事は・・・、例えば、この先3枚5枚出していこうという計画的なものではなくて、今回は、ひとつこのテーマでやってみようっていう事に集中して、完成させてきたのですか?
ウォン:  はい。ひとつのテーマをやると、そのテーマが終わったとたんに次のテーマがそれに準じて、どういうテーマで出てくるかっていうのは判るでしょ。大きな枠の中では、何かぼんやりとして見てるものが、僕の中にはあるのかもしれないけれど、その時、その時は具体的になっていくのは、まさしく目の前に来た時にしかならないっていうか・・・
 その時にしか、その答えはそこにない。そして、ひとつ一つ積み重ねていってふと後ろを振り返ると「これ、ちゃんと宇宙の計画通りだったよね!」っていう感じになるんだよね。
和田:  瞑想していて、そういうビジョンっていう事よりも、やはり「今」っていう状態、そこに開放されるっていうか集中していく、解き放たれる感覚なのでしょうか?
ウォン:  何か、身を委ねていくっていうか、常にその時その時に、何が起こっても受け入れていくだけの、自分を開いている状態、そういう感覚を、僕は瞑想の中で学んだんだろうね。
魂の奥底に共鳴する音楽。
和田:  以前、5分間くらいのビデオで、ショートインタビューさせていただいた時に、皆さんウォンさんの音楽を聞いて「癒される」とかいわゆるヒーリングミュージックとしてのカテゴリーで扱われるような音楽なんですが、ウォンさん自身は、音楽に非常に真剣に向き合われているので「自分が音楽で人を癒すなんていうのは、おこがましいと思っている」と言われていました。ウォンさんには、そんな意識は無いにせよ、聞き手にとっては癒しになっているこの状態に、いったい何が起こっているんでしょうか?どのプロセスからできているんでしょうかね?
ウォン:  ほんと、何が起こっているんでしょうね(笑)僕もわからないんだけど(笑)こういう事かなあ? もし僕がね、音楽ってどういう風に伝わっていくものなのかな?って思った時に、それは共振共鳴以外にあり得ないと思ったわけ。
 もし僕が、頭で音楽を作っていたとするならば、聞く人の頭は共振するかもしれない。例えば、僕が人を癒したいと思いながら音楽を作ったならば、聞く人には「ああ、この音楽は人を癒そうとして作っているんだな」と伝わると思う。
和田:  あっ!なるほど・・・
ウォン:  僕が今、音楽を通して何処にたどり着きたいと思っているのかは、まさしく僕は、僕の魂の一番奥底にたどり着きたいと思っていて、もしたどり着いたならば、まさしく、その音楽は聞く人の魂の一番奥底に共鳴するはずだと、僕は思うんです。
和田:  よくわかります。
ウォン:  音楽であろうが、絵であろうが、映像であろうが、どんな表現形態も、ある意味では裸なんだよね。その人間の全てが、そこに出ていると思うんだ。
和田:  これはアーティストだけではなくて、一般の人でもね、人と接する時だとか、お客さんにサービスする時だったり、その時に、魂がどういうレベルでお客さんにかかわっているのかっていうのが、受け手の方は軽いレベルでわかるじゃないですか!
ウォン:  わかる!オーディエンスは、本当に敏感だと思うんだよね。それを言葉にして表現できなかったり、自分に起こっている事がどういう事なのか理解できなかったりすることはあると思うけど、魂のレベルの暗号は、必ずその人の魂のレベルに響くよね。
和田:  響きますよね!!実際にコンサートされていて、多くの人が会場でも涙したりとか、いろんな人が、人それぞれの思いで聞いていますからね。
ウォン:  その人その人の魂の次元で聞くからね。
和田:  これが、僕が一番最初に言った「情報量」って言いますか、これを言葉とか現象的に表現しようとすると奥底までは響かないので、伝わっていかない。
ウォン:  結局、「私は、あなたの魂まで触れようとしています」「あっ、この人は私の魂に触れようとしているのね」(笑)っていう表現では、本当の魂までは響いてはいかないですよ。自分の魂に響いていないのに、人の魂にまで届かないよね。
和田:  なるほど。それがウォンさんのライブ演奏っていうか、そこの会場に行かないと味わえないものっていうのが一番大きいですよね。
ウォン:  それはとっても大きいと思いますよね。だからスピリチュアルなものってよくいいますけど、スピリチュアル的な音楽と、本当のスピリチュアルな音楽っていうのは、また別個のものなんだよね。だから一般に言う癒しの音楽っていうのは、どうなんだろう?みんなはそれを聞いてどう感じているんだろうね?
和田:  多分、環境音楽として、何となくこんな空気、こんな雰囲気を味わえるっていう面では、ヒーリング系サウンドを購入されているんだと思いますね。実際に、僕はウォンさんのファンであるところでいうレベルではなくて、ウォンさんの音楽を聞いた時に、多分そういったところが打ち震えているんだろうなあと思います。
ウォン:  例えば、自然環境で起こっている波の音や風の音なんかになぞるように音楽を作る人たちがいると思うんだけど、それはそれで素晴らしいと思うんだけど・・・・でもそれは本当の波じゃないんだよね。
和田:  そうですね。まあ、自然の音って言うのも当然ヒーリングになるんですが、誰がどういう思いで、その時の心の状況がどういう状態で、伝えたい事をキャッチして録音してるのか、これはただ、屋久島の音ですっていうものとでは全く違いますよね。
ウォン:  そうだよね、屋久島の自然を録音した本当に素晴らしいCDを知っているよ。でもそれを音楽にした時には、いやがおうでもそこにエゴがはいるから・・・
続けられるって事は、
そこに何か追い求めているものがある。
和田:  ウォンさんは、写真もすごく撮られて、個展を開かれたりもして、ほんと素晴らしいんですが、写真の活動っていうのはそんなに古くはないんですよね。
ウォン:  僕ね、音楽はすごく苦労してきたんだよ(笑)さっき言った様に、瞑想するまでに自分の音楽を追い求め続けて七転八倒したんだけど、写真は苦労したくないって思ってるんだよ(笑)楽しみたいって思ってるんだよ(笑)僕の周りには、優れたプロの写真家の方たちが沢山いるんだけれど、彼らのようには苦労したくない(笑)
和田:  結構回りの人からは、嫉妬されているって聞いた事がありますよ(笑)
ウォン:  もうなまじっか感覚で撮ってるから、ある意味素人の何とかって言うでしょ。怖いもの知らずで(笑) そういう事を言うと、ムッとするんでしょうね。それでも友達の写真家が「ウォンさんね、あなたが写真撮ってるって事はね、僕がピアノを弾いて、ウォンさん、僕のピアノどう?って聞いてる様なもんなんだよ!!」って言うんだよね(笑)
和田:  逆に言えば、ウォンさんが、いま絵を描いても、たぶんすごいものが描けちゃうんじゃないかと思ったりするんですけど。
ウォン:  実を言うとね、音楽も映像も感覚の本質にあるものは同じだと僕は思ってます。
だから、僕が音楽を通して見つけた本質って物は、僕は確信として持ってるんだけど、それと同じものが映像や写真や他の表現形態にも見出す事ができるのです。
和田:  多分みんないろんな事にトライしてみて表面的な部分をなぞってみて、これは駄目だ、あれも駄目だ、じゃなくて、やはりこれが自分が探求していくものだって見つけたら、入ってみるっていうのも大事なんでしょうね。
ウォン:  そうでしょうね。
和田:  僕も、ずっと瞑想していますが、本当にシンクロニシティーはすごいですよね。それに人生観が大きく変わります。より深まったって言いますか。その中で今までのように、ただ普通に行動として、いくら深めていっても、精神意識的な世界からのアプローチをしていかないと、たどり着かない世界ってありますよね。
 多分職人さんがひとつの彫刻を彫っていく作業って言うのは、これは、瞑想状態に近いものがあると思うんですよね。アーティストが自分の表現スタイルとして探求していく中で、深まっていく部分と、みんなそういう事ができればいいんですけど。なかなかそういう機会ってないですよね。
ウォン:  そうですね。やはり、続ける事ってすごく大きいかな。頭で考える前に、とにかくやり続ける。その中で、自分の作品の表現に溺れないで、常にその時その時の自分を魂のレベルから見続ける事だね。そういう意味では、すごく大変なんだよ。でもそれをやってる中での喜びなり、わくわくする感じってものを覚えたならば何の苦労もない。
 だから続けなさいってしか言いようがない。続けられるって事は、そこに何か追い求めているものがある、尚且つ成就できるっていうひとつの自分に対する信頼があるからだと僕は思うね。
和田:  僕の周りには、やはり若い企業家とか、若くて元気があって成功したいなあって思っている人が多いですね。スピボイを読んでもらっている人の中にも、人生変えたいとか思っている人達が多いと思うんですけど、やはりウォンさんのお話を聞いていても、35歳6歳くらいの失意に至る経緯、ビジネス的に、職業人としてはある意味成功はしていたとは思うんですよね。でも、魂の渇望から押し寄せてくるものとの葛藤が、人生に一番大きく影響してくる事じゃないですか。だからもう少し長いスパンで、人生を眺めながら、ウォンさんが言った様な、今ある一つを完成させようっていう部分に、より深く深く入って、次のステップに進むっていうのは、大事な事なんじゃないかなと思いますね。
ウォン:  自分が何かを強く求めているんだって事をしっかり見つめて、その求めているものがいったい何なのか?自分の魂のレベルで求めているものは何か?という部分をちゃんと見据える必要がすごくあると思いますね。お金なのか?自分の個人的な幸せなのか?お金、欲望、地位とか、言葉で言えるものなのか?それを一瞬一瞬、意味も価値も変わっていくものだし、固定的な意味や価値を求めているのではない。
 その人しか得られない、その時ににしか得られない、非常にユニークな価値なり意味なりっていうのを大事にしてほしいよね。
 常に自分を見据えて、大事にしていくって事はすごく大事だし、それは最後の最後まで続く、だからこそ人間は、人間として生きているんだって思うんだよね。
 それは起業かもしれないし、アートかもしれないし、もしかしたら、家にいて家族を大事にする事なのかもしれない。その人しかありえないユニークな価値があるわけだよね。
和田:  やはりコンサートの様な、みんなが集まる場、それを共有するっていう、それと同じ様に、仕事でも家族でも、その場を共有してる時を、ひとつ一つ丁寧に見るっていう事は、すごく重要な事だと思いますよね。
ウォン:  コンサートの醍醐味は、まさしくそれで、そこにいた人、そこに関わった人が、演奏家はもちろんの事ながら、ある一瞬の最も深いところで繋がる瞬間を体験する事。その事を実現させる事が、僕のコンサートに求めている事の様な気がするよね。
和田:  今から20年前って言うと、ウォンさんが瞑想を始めた頃っていうのは、いろんな誤解があったり、風当たりもきついと言うか、変わった事やってるなと、危険視される事もあったでしょう?
ウォン:  それはあったよ。その後、反社会的な事件もあったしね・・・(笑)。
和田:  今では、瞑想、自己を見つめてみる、自分探しって事は、みんな普通に受け入れられているし、ある意味、自分自身の探求にアプローチしやすくなってますよね。会社の中では、自己開発のプログラムがあったり、やりやすい環境なので、どんどんみんなにもやってほしいですよね。
ウォン:  そうですね。ターニングポイントって言葉がありますけど、本当の自分に出会う事を約束する時が、どの人にもあると思うので、人生の局面の中でしんどい時期、艱難辛苦って言葉もあるけれども、そういう時こそ、自分が自分自身を成長させる、本当の自分に出会ういいチャンスだと思いますね。そういう人こそ、世界を動かしてゆく人になるんじゃないでしょうか。
誰かが転んだら助けようとする、それと同じなんだね。
和田:  ウォンさんは社会活動で、ボスニアの地雷の犠牲者支援活動をボランティアでされていますが、今回の映画『純愛』でも市民NPOとしての映画作りで、小林桂子さんという女優さんでプロデューサーの方が企画された中で作られてますよね。
 ウォンさんも、その一環で映画に関わられてますので、社会活動とリンクされてますね。
ウォン:  僕たちの意識の中では、ご縁の問題だと思っています。自分がどんないい事をやりたいと思っていても、自分に関係ないところで、リアリティのないところではできないですよね。
 簡単な話、外を歩いていて、誰かが転んだりしたら助けようとするじゃないですか?それと同じなんだよね。今、世界中の情報がみんなの手元に入ってきて、それを見るときに、人事ではなくなってくる。だから、日常的に地雷の犠牲者の為に援助してみたり・・・特別な事じゃないんですよ。
和田:  批判的に見られる人たちは、まだ国内の問題、金銭的なもの、経済的なもの、健康に障害を持たれてる人を支援するとか、いろんな事をやらなきゃならないのに何でわざわざ海外の名も知れないところに支援するのかと思う人たちもいますよね。
 ただ、ご縁っていう感覚は僕自身もはっとしたんですが、それでいいんだ!と自分の目の前にいろんな情報が入ってきて、これもご縁なんだと思って協力すれば、それ以上でも以下でもないって事なんですね。
ウォン:  そうなんですよ。物事を複雑に考えやすい事、例えば寄付1つにしてもこれは偽善なんじゃないか?自分はお金を持っていて、そのほんの一部を単なる自己満足でやっているんじゃないか?何て。ある意味それは正しいのかもしれない、でもそれは過剰な自己批判に過ぎなくて、自分の本当に純粋に助けたいという気持ちを、むしろ侮辱して、貶めているに過ぎないんです。いろんな事がありますよ。でも、その中でも一番純粋な部分にフォーカスする事が大事で、それが結果的には海外の事かも知れないし、もしくは身近な事かもしれない。ただ、目の前にあるものをひとつ1つやっていけばいいと僕は思うんだよね。
 実際に生活していればわかると思うけど、地雷の問題だけではないんだよ。DVで離婚する人もいれば、癌に侵され心が動揺している友人もいるし、家族機能が崩壊した子供たちを集めて、支援してる友人もいる。またそこへいって、僕は、演奏家としてサポートしてみたり。障害をもった家族がいて、コンサートを依頼されれば、僕はそこへいくでしょう。そんな事と同じ様に縁とか、友人とか・・・。目の前に起こっている事をただ単にその時の気持ちに正直に、そのまま表現している。それができるかどうかが大事なんだよね。みんな途中で考えるんだよね。いろんな事をやってる暇はない。僕はこんなに忙しいのに、困難な状況にあるのに・・・・。
和田:  自分に寄付して欲しいぐらいなのに・・・(笑)
ウォン:  そうそう(笑)例えば、ほんとに自分が困難な状況下にあっても、転んだ人を助け起こすことはできる。
和田:  インドへ行っても、皆さんほんとに貧しいでしょ。でも、さらに貧しい、路上にいる人たちに、みんな普通に喜捨するんです。しかも自然に。この自然さは何なんだろう?って思うんです。僕たちからすると、普通にそこにいる事自体が貧しいわけなんですけど。でも、ほんのちょっとした、できる事をやろうっていう気遣いはすごいですよね。
ウォン:  ペイフォワードっていう映画が有名になったけれど、まさしく目の前にある事を、みんながやっていくと世界は変わると僕は思います。
和田:  そうですよね!!僕もウォンさんの活動を応援できる事は嬉しいです。そして、僕自身も、目の前にお手伝いできる事があったらしていこうと思っているんです。多くの人が簡単な事ならできると思うので、複雑に考えずに、自分のフィーリングに従って、やってもらえるといいですよね。
ウォン:  うん!ほんとにね!心を開いていくってすごく大事だよね。
和田:  いろんなお話をお聞きしたんですが、今後の活動は?
ウォン:  とりあえず、目の前の事をやります(笑)
和田:  (笑)でも、何となく、こんな感じでやっていこうかな的なものはありますか?
ウォン:  今、回りの状況を見て動いてるのは、息子が初めてのデビューCDの制作に取り組んでいます。これは僕の楽しみにしている事のひとつです。あと、僕がレコーディングしたいなあと思っている曲があるので、そろそろやりたいなあと思っています。
 それからコンサート活動をしていく中で、岡山ではもちろんさせていただいてる、僕と妻とで行うワークショップを、もっと充実させていきたいなあと思っています。
和田:  ウォンさんのワークショップは、岡山以外では長野でされるんですよね。
ウォン:  そうです。
和田:  自分を見つめたり、自己解放したり、楽しいワークですよね。
ウォン:  終わった時に、みんながハッピーになっていて欲しいっていう思いはありますよね。
 自分自身のポジティブな部分に気づいて、自己解放していく。たった1日や2日のワークショップでは、全部人間が変わるなんて考えにくいけど、でも何か取っ掛かりになる、ほんのちょっとしたステップになる、それだけで僕はほんとに嬉しいんです。
和田:  このスピボイも全国の方が、いろんな形で読んでいただいてると思うんですが、これからもっといろんなところで、ウォンさんに活動していただきたいと思います。
ウォン:  そうですね。写真の方でも呼ばれているんですよね。今から撮らないと(笑)
和田:  ぜひ、ウォンさんに来ていただきたい方は直接お願いしていただいて・・・。
 先ほど、雑談で話したんですが「純愛」の映画音楽は、ウォンさんが監督されたと言うことで息子さんの美音志さんも作曲と演奏を1/3されています。
 素晴らしさに驚きました。すごい才能をお持ちで・・・これからが楽しみであり、ウォンさんにとってはライバル的な存在になられてくるんじゃないですか?(笑)
ウォン:  早くバトンタッチしたいですよ(笑)早く好き勝手やりたいなあ(笑)
もちろん、今も十分、好き勝手やってるんですけどね(笑)
和田:  楽しい話がたくさん聞けてよかったです・・・(笑)
今日は、本当にありがとうございました。
ウォン:  ありがとうございました。
ウォン・ウィンツアン
/プロフィール
ピアニスト/即興演奏家/作曲家

1949年神戸生まれ。19才よりジャズ、前衛音楽、フュージョン、ソウルなどを演奏。
88年、瞑想の体験を通して自己の音楽の在り方を確信し、ピアノソロ活動を開始。
91年、自主レーベルSATOWA MUSICを発足、ファーストアルバム「フレグランス」がFMから火がつきロングセラーとなる。
97年、日本の童謡をウォン独自のスタイルで表現した「Doh Yoh」を発表。
同年、NHKスペシャル「家族の肖像」(ギャラクシー大賞受賞)のテーマを作曲。
2000年、オムニバスアルバム「feel」(東芝EMI)に楽曲提供、200万枚近いヒットとなる。
2001年、ハイビジョン&NHKスペシャル「世界遺産中国・九寨溝」の音楽を手がける。
現在、教育テレビ「こころの時代」テーマ放送中。
ほかにもジャズトリオWIM、美音志とのデュオ、地雷犠牲者救援CD「もしも地雷がなかったなら」など音楽活動は多岐に及ぶ。
サトワミュージックから20枚近くのアルバムをリリースし、全国各地でコンサートを行っている。
音楽監督として魂をこめた日中共同映画「純愛 JUN-AI」が、 2007年8月18日より銀座シネパトスにて初公開、サントラ盤も同時リリース。

お問合せ先:サトワミュージック
03-3950-8634
ウォンさんのCDが視聴できます。
【取材後記】
 僕は音楽が好きで、これまでいろんな音楽を聴いてきた。音楽の衝撃的な出会いは、中学校時代に友人に薦められたプログレ(プログレッシブロック)だった。音楽と言えば、TVで流れる歌謡番組や学校の音楽の時間で聴くクラシックくらいだったろうか。それまでの僕の少年時代に、音楽は全く関心のないものだったが、そのプログレを聴いてから音楽は僕の中で大きな比率を占めるようになった。その後、イーグルスやドアーズ、ビートルズ、カーペンターズ・・・60年代、70年代の有名、無名のアメリカンロックやポップス、R&B、そして、世界の民族音楽から80年代のソウルやラップなど。。。もう、ありとあらゆるジャンルを四六時中聴いていた・・・その中でも、高校から特に20代前半は、ジャズの影響が大きく、当時、僕の周りにジャズを聴く友人はほとんどいなかったのだけれど、ジャズにどんどん弾かれていった。実は、そんな僕も、日本のロックやポップスに関しては、とてもバランスが悪くて、日本の音楽を耳にするのは、20代中頃に差しかかってからだ。
 そんな僕の音楽人生も、年を経て、ゆっくりと嗜好も変わっていき、いまでは、すっかりロックはどこかへ行ってしまい、いつの間にか静かに心に響く音楽や深みのあるジャズを求めるようになっていった。
 そんな中で出会ったのがウォンさんの音楽だった。
たまたま、ウォンさんのコンサートに行った僕の奥さんが、とても良かった、気に入ると思うよと買ってきたCDを聴いて、すぐにはまってしまった。僕が求めていた音がそこにあった。何度聞いても、飽きない。特に、僕は仕事をしている時に音楽が必要な人間で、考えたり、書き物をすることが多いので、そう言うときにぴったりなのがウォンさんの音楽だ。とてもクリエイティブな空間を演出してくれる。

 音楽もいろんなタイプがある。音楽自体が主張するタイプと、環境のひとつとなってコミュニケーションしてくるタイプ。そして、環境そのものになっているタイプ。僕にとってウォンさんの音楽は、環境そのものになっている。僕の人生の中で、僕のライフスタイルを彩るひとつの音楽的環境として、とてもフィットしているのだ。

 ご縁あって直接知り合うことができて、コンサートを主催させていただくようになり、いまでは、お友達として、親しくおつきあいさせていただいている。実際に、おつきあいしていると、ウォンさんのいろんな側面を知ることになるが、ウォンさんは、まるで少年のような人だ。好奇心が強く、とても茶目っ気があり、またある時は驚くほど集中する。コンサートでも、冗談は欠かさない。ウォンさんの音楽をCDなどでしか知らない人は、コンサートでのウォンさんの冗談に、いい意味で想像してなかったと言う人も多い・・・笑

 ウォンさんは、音楽を楽しんでいる。スタジオにおじゃましたり、コンサートの前のリハーサルなど、ピアノに向かうと自然にあの美しいメロディをさらりと奏でるあたり・・・僕も、こんな風にピアノが弾けたらどんな気分だろうといつもうらやましく思う。そんなウォンさんと知り合うことができたのはとてもラッキーだ。

 ウォンさんにとって、いまの音楽の源泉は瞑想にある。瞑想は僕にとってももっとも大事なものの一つになっている。ウォンさんの音楽を聴くとき、ぜひ、瞑想しながら聴いてみて欲しい。ウォンさんの瞑想の境地をほんの少しだけでも感じることができるかもしれない。
 僕は特に、ウォンさんのジャズが好きなのだけれど、幅と深さがあるので、ぜひ、いろいろなアルバムを味わってみるといい。きっと、あなたの時間と空間を豊で、奥深いものにしてくれることは間違いないだろう。
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